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字大道の原名(南)

大道

那覇民俗地図を参考に作成しました。
大石原と伊是名前原の境界はクチャガーラグヮー、佐久間又原(サクママタバル)と真和志中のある赤真加利原(アカマカリバル)の境界は安里川です。

参考:字大道の原名(北)
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上之屋の鍛冶屋

「上之屋の民俗地図」で確認できる上之屋の鍛冶屋()です。オレンジの繁華街の中に三軒あります。
上之屋の鍛冶屋

泊側から崎山カジヤ、崎山カジヤ、石川カジヤです。
泊からの道はまっすぐ伸びておらず上之屋に入る前で大きくカーブしてS字を描きそのあとは現在の58号線と同じようにまっすぐ伸びてゆきます。この大きく曲がったS字の部分に馬車駐車場があり、その道沿いにはそば屋、散髪屋、醤油屋等の店舗が並んでいます。

鍛冶屋さんの証言では那覇の潟原も馬車の収容所であったと記憶されています。潟原は上之屋からさらに進み潮渡橋をわたってすぐで若狭の入り口にあたります。
那覇には田舎から乗り入れて来る馬車の収容所が二ヶ所あった。中頭は潟原(現在の若松町)、島尻は壺川で、蹄鉄師も那覇にいた
沖縄の鍛冶屋/福地 曠昭 p227

長作原(古波蔵)

古波蔵の長作原(ナガサクバル)です。


一部切れてますがこの辺りの境界がどうなっていたのかはわかりません。真和志民俗地図では接する壺川との境界をアカバタキーあたりにしています。
参考:壺川

長作原は戦後しばらくの間存在したみなと村の一部でした。

現在の地名で言うと奥武山町・壺川・旭町・楚辺・泉崎・古波蔵の一部である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/みなと村

1947.5.1 楚辺原の一部、美武田原、長作原の一部、阿手川原、赤畑原、那覇市通堂町の一部
1948.4 真和志村の字二中前一区、松尾、県庁前、旧那覇市の上泉町を編入
総面積233234坪になる

みなと村のあゆみ巻末年表

長作原は古波蔵駅から北に向かう鉄道路を境界として真和志村とみなと村に分断され、みなと村の範囲は美田区と呼ばれることになります。長作原と接する字楚辺美武田原(ミンタバル)からとったのかもしれません。
このあたりには美田○○とつく建物もあるようです。

参考:Category/みなと村

上間・識名周辺の屋取

上間誌から屋取について書かれてある部分です。

真地小学校周辺に戦後まで畑の中にポツポツと5、6軒の泊下(ティマシチャ)という屋取村があった。繁多川、真地はもともと識名村の屋取村が分立したものである。
上間誌 p82

真地
図は70年代の真地ですが緑は農地でこの範囲内にまとまった住居は殆どありません。真地・繁多川について那覇市史ではこう書かれています。

明治36年土地整理の変革によって、これらの部落の周辺には、村外から転入する者が多くなり、いわゆる屋取部落が発生した。識名に繁多川・真地、与儀に樋川、古波蔵に楚辺・壺川・松尾などの集落が出来て新しい行政区が誕生した。
繁多川
首里の金城坂に相対する識名坂の上にあり。首里系住民の集落。
真地
繁多川と同じく首里系統の屋取部落で南は南風原村に接する。西側の低地をトマ下という。
那覇市史資料編第二巻中の7、p39(一部のみ抜粋)


両方とも首里系士族の屋取のようです。

壺川

壺川は馬車発着場跡を中心とした部落です。
那覇民俗地図を参考に米軍空撮写真に書き込みましたが、昭和初期を想定した民俗地図から埋立が進んでいるため境界がわかりません。黒い線の範囲が字壺川、中心を二分する道の川側が赤畑原(アカバタキバル)で陸側が阿手川原(アタカーバル)です。

与那原街道の起点で、奥武山公園に面する海浜に出来た集落。軽便鉄道開通前、与那原、佐敷方向行きの乗り合い馬車の発着地であった。住民は那覇系統、漫湖内で漁労を業とする者も多かった。
那覇市史 資料編第2巻中の7 p40


壺川は黒糖を入れる樽造りも盛んであったようです。
壺川から古波蔵部落まで道の側は集落が続きますがこのあたりは刑務所あたりを中心とした高台のふもとになっていて古海岸線にあたります。
那覇の古海岸線

古波蔵停車場

沖縄県営鉄道与那原線の古波蔵駅跡です。
文は「図説・沖縄の鉄道/ボーダーインク刊」、図は「酔古ざつがく」さまを参考に作成しています。
http://www.geocities.jp/kikuuj/zatugaku/keibin/yonabarusen1.htm
古波蔵停車場
大正11年3月嘉手納線開業の際分岐駅として設置され駅北側にアルコール工場があり、嘉手納や高嶺から糖蜜が運ばれていた。古波蔵を発車するとすぐ嘉手納線と分かれて真玉橋へ。
辺りは麦畑の続く農村地帯で、古波蔵の集落は駅より北西に離れていた。
今の高さくらいを鉄道が通り、国道は2M以上低かったので国道よりアルコール工場へ通じる道は鉄道の下をくぐっていた。
図説・沖縄の鉄道/加田 芳秀 p57、58(省略編集)

泉崎大ミチ
地図上に表示したポインタのうち一番下にあるのが古波蔵駅です。
真和志民俗地図を見ると古波蔵駅から向こう側の国場川沿岸に細長く集落があり、反対側には台南清酒工場という表示があります。写真でくっきり見えるのは道路でそことほぼ平行してあるのが線路です(クリックして拡大しないと見えません)。
古波蔵駅跡のすぐ横で嘉手納向けと与那原向けの鉄道が分かれますがこの構造は現在の国道も同じで古波蔵交差点がそれに相当します。

採石場

上之屋誌に安謝のブタノール工場あたりで石材を切り出していた証言がありました。

私は安謝部落後方の石山を買い火薬を使用して岩石を割り、間知石や粟石を採掘し、護岸工事用の材料を供給した。工事は壺川・古波蔵の河川工事や安謝川の護岸、さらには与那原の護岸工事なども請け負った。当時那覇には石材が無く、周辺でも天久と安謝に2、3ヶ所あるだけで、とくにコーラルは天久以外にはなかった。瓦葺きの家を造るときの柱を建てる石ヂや粟石を買いに遠く東風平方面からも荷馬車2、3台を連ねてよく来たものである。
しかしこの石山も昭和16年の太平洋戦争勃発で軍のブタノール工場のため接収された。
上之屋誌 p69


同じ構図で地質を書いてみました。参考にしたのは天久誌p5、元の図は「土地分類基本調査ー沖縄本島中南部区域」という県によるもののようです。
※元の図に準じていい加減に書いてあるので大体でしかありません。
安謝の原名(西側)
これを見てみると安謝部落後方の丘から天久一帯まで琉球石灰岩で出来ているのがわかります。また現在の天久自練付近は戦後石材を切り出されて地形が低くなっています(天久誌 p6)。

そういえば潮の崎や雪の崎も地形が変わっていますがあそこも石灰岩だったと思われます。戦後の埋立や護岸工事にはあの辺の石材が必要だったのかもしれません。
埋立の写真を見ると埋め立てる地域の外周に石垣のように石を積んでその中に土砂を運び込んでいます。まちの種通信には埋立風景の写真があります。

那覇まちのたね通信 | 都市計画/泊港南岸
naha.machitane.net/old_photo.php?id=2118

那覇まちのたね通信 | 都市計画/若狭海岸 埋立工事
naha.machitane.net/old_photo.php?id=2117

那覇まちのたね通信 | 都市計画/若狭海岸 埋立工事
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=2115

銘苅

那覇市史から銘苅の項を抜き出します。

銘苅
安謝から分離して独立行政部落をつくったのが明治42年。多和田原、銘苅原、名護松尾原の三つの小字の結合体であって住民の大半が首里系士族で占めていて、なかなか活気に富み純農家世帯ながら教育熱もありさらにスポーツにも理解の在る真和志屋取部落の雄であった。銘苅には銘苅子を祀ってある銘苅御殿ありシグルクの井(カー)、などがあって由緒床しい部落であった。
那覇市史資料編第二巻中の7、p39


銘苅は銘刈川を境にしたバイパス側一帯(港川原、多和田原、赤田原、宇久増原、銘苅原、名護松尾原)と穂採謝原・兼本原・直禄原です。真和志民俗地図でみると中心は名護松尾原とそのそばにある兼本原に集落の印があります。
図では茶色の線が線路、川がカーブする一帯から330側が名護松尾原、そこから川を越え他安里側が兼本原です。図はかなりいい加減なので大体こんなもんと思って下さい。

安謝誌では拝所や元屋をめぐっていろいろ解釈され、銘苅にあるシグルクガーや多和田巫殿内を安謝でも拝んでいることに触れているのですが安謝から分離した部落なら納得できます。
このブログでは部落の祭祀の起源や部落建立を巡ることがらは具体的事実が提示されず解釈に留まる限りは扱わないことにします(自分に知識が無く判断ができないため)。

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