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西新町にあった施設

西新町にあった施設の写真を見てみたいと思います。 西新町は1、2丁目がフルガタ(古潟?)、辻側の3丁目がミーガタ(新潟?)と呼ばれています。
写真は総て「昔の写真と資料」さまよりお借りしています。m(_ _)m
http://blogs.yahoo.co.jp/pusan_de
西新町
まず3丁目の大正劇場(左)と偕楽軒(右)です。この劇場は真教寺から少し海側に行ったところにありました。偕楽軒は西洋料理店です。
大正劇場偕楽軒
そして大阪商船株式会社。こちらの出島のような二つの島は通称フルガタ(古潟?)です。埋立の順番による名称だと思うのですが根拠は今のところ見つけられていません。
大阪商船那覇支店
位置は那覇民俗地図を参考にしています。

西新町に見える施設は他に以下のようなものがあります。
•硝子工場、三丁目クラブ、宝来館、南陽旅館、日の出自動車、当間タクシー、金城組(建築業)、旭商会、日本共立生命(以上ミーガタ/3丁目)
•通堂倉庫、沖縄製糖会社、野間商会、平良製材、十倉鉄工所、早瀬川造船、西クラブ、昭和自動車、東自動車工場、共和商行、友寄仕立て屋(2丁目/フルガタ)
•百四十七銀行倉庫、税関、水上警察、沖縄無尽、那覇商運組(1丁目、フルガタ)
これらは「那覇民俗地図」と「昭和初期の那覇市街図(国場組社史)」を参考にしました。

ほかには花月(楼)[写真下]も西新町にあったようですが、こうして見ると埋立地はなかなか賑やかそうですね。
花月
花月 和洋料理店
本店 那覇区西新町三丁目
那覇区における四大料理店の中(略)同店は元埋地の一隅に極めて小規模のものを設立せるに始まり、このあと数年を出でずして大発展を来し、新埋地なる海岸に宏壮精麗なる数棟の建築を起し、(以下略)
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Comment

偕楽軒

この「偕楽軒」を経営していたのは私の祖父です。以前からこの写真を探していました。何か情報がありましら教えて下さい。

Re:偕楽軒

  • No Name Ninja 〔管理人〕
  • 2011-08-14 21:45
>この「偕楽軒」を経営していたのは私の祖父です。以前からこの写真を探していました。何か情報がありましら教えて下さい。

コメントありがとうございます。
写真は他のサイト様よりお借りしているものですが、那覇歴史博物館も所蔵しているようです。
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1022
上記アドレスで同じ写真の大きなサイズがあり、1917(大正6)年頃と書かれています。

ちなみに那覇市史に付属していた「旧那覇の歴史民俗地図」には偕楽軒は書かれています。
偕楽軒に関して今私が知っていることは残念ながらほとんどありません。たしか誰かが出資して始められたかと記憶するのですがどこで読んだのかは憶えていません。

教えて下さい。

すいません。

この当時、偕楽軒の住所は、西新町三丁目13番だと、このブログで初めて知りました。その南隣の12番には、私の祖父が経営していた砂糖樽製造業の大城家があったと推測していますが、確証がありません。何か情報がありましたら教えて下さい。

また、この地域は、大正劇場を建てた尚順男爵により埋め立てが行われたですが、敷地については、「偕楽軒」さんは、自己所有されていたのでしょうか?それとも、借地契約されていたのでしょうか?差し支えなければ、ご教授願えませんでしょうか?
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