忍者ブログ

グダグダ(β)

メンテナンス中/内容について一切保障できません
3/24アクセス解析再設置/不快に感じられる方はJavaScriptオフを推奨

MENU  ブログ内検索は左のMENUからできます

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

52年の味噌醤油醸造元広告

沖縄主要地主要商工年鑑(1952)の広告から。

味噌、醤油、醸造販売
木下籐吉商店
安里大通(第四二、四三図)
---
白味噌、赤味噌 良品で知らる
外間成政醸造工場
ニューパラダイス通(第十九図)
---
キッコー球醤製造発売元
球屋商店
宮里雄喜
樋河大通(第三十図)
---
味噌、醤油!試験の結果は日本品に劣らぬ
具志堅醸造所
社長 具志堅宗精
(第三十七図)
---
純粋な味噌あじ 純粋な味噌香り 栄養100%
砂川味噌醤油工場
砂川玄昌
(大道区4班大道販売店隣)


球屋商店は樋川大通り(52年)にあります。
木下籐吉商店は木下藤吉(木下味噌醤油/木下籐吉商店)
具志堅醸造所(赤丸宗)は50年代初期の具志堅醸造所

調味界の最高峰
●の味噌・醤油[*1]
礎矢のイソヤソース
●の酢の本[*2]
何れも近代的設備に依り本島に於ける技術者を網羅し多量生産に依って以て日本品輸入の防あつに備へると共に良心的製品を皆様に贈りご満足を得る可く鋭意研究と努力を傾注しています
何卒倍旧の御引立の程を御願ひ申ます
礎美産業合資会社
社長 川野長太郎
那覇市楚辺2区4班 (第三十六図)

※*1は左、*2は右

礎美産業合資会社は刑務所通り(52年頃)
PR

50年代初期の具志堅醸造所

沖縄主要地・主要商工年鑑(1951)の第十九図表。図は左が北で一番下が330号、右下の交差点が大浜第二病院があったところ、右上に進むと真和志村役場になります。
右図を縦に走っている道が真和志郵便局通りで、通りの2と書かれた側に「具志堅醸造所」という名前があります。

真和志村役場前通り(あけぼの通りと呼ばれることもあったようです)を神里原方向に左折する角付近には真和志郵便局がありました。

沖縄主要地主要商工年鑑の51、52年版ともに赤で示した位置には松田兄弟社(現松田木工所)があります。隣りではありませんがそのすぐ近くに「具志堅醸造所」がありました。
赤丸宗社長であった具志堅宗精の自伝「なにくそやるぞ」にはこう書かれています。

そこで父祖伝来の味噌醤油業をはじめることにした。資本金は3万円(B円)、出資者は7名、資金も琉銀から各自借りて、これを出し合った。それと琉銀からの借入金275万円で、準備は完全にととのった。
場所は真和志郵便局向いの寄宮で、具志堅味噌醤油合名会社として発足した。
グダグダ(β) 赤丸宗/黒丸宗 2


赤丸宗と黒丸宗は戦前垣花にあった具志堅味噌醤油をルーツとする会社で、両社の社長は兄弟です(赤丸宗・宗精、黒丸宗・宗演)。
黒丸宗は後年は現寄宮市街地分譲住宅の場所にあったのですがいつ頃移ったのかは調べられていません。

日乃出機械工業所

沖縄主要地・主要商工年鑑(1951)の第二十七図表(左)です。

右の図での赤が「日の出機械工業株式会社」、青が「丸中製材所」です。位置は69年のゼンリン地図を参照しました。
※ゼンリンでは日出機械工業所、丸仲製材所となっています。

左図での店舗名。
1は上(安里橋側)から日の出機械工業株式会社、巴鉄工所、うるま新報社、A山一商事支店、安全瓦工場、三好野食堂(仲村トミ)
2丸中製材所、仲本酒造工場、酒屋新垣、料亭三原、●共栄木材(●は○に共)、上門木工所、料亭田鶴

真和志郵便局周辺(51年頃)では奄美会館がある通りを特定できてなかったのですが、とりあえず日野通りがそうであると見なしています(奄美会館の位置特定はできていません)。
沖縄県公文書館に日乃出機械工業をあつかった動画があります。

沖縄の生産業シリーズ ボイラー 日の出機械工業 - 映像を見る・映像が語る沖縄 - 沖縄県公文書館
http://www.archives.pref.okinawa.jp/films/2008/04/post-36.html


画像はスクリーンショットで作成。動画によると1949年創業で、生産した製品は煙草会社やビール工場、そして金武の発電所などで使われたそうです。

福山商事

国際通りに本社のあった福山商事。

昭和26(1951)年11月/沖縄県那覇市牧志町2丁目282番地の1に福山商事(株)を設立。新聞巻取紙、和洋紙、水道資材、電気通信資材等を販売
昭和32(1957)年 3月/業務拡張のため、那覇市安里443番地の2に倉庫を建築し紙業部を移転
昭和35(1960)年11月/那覇市牧志町1丁目344番地の4に新社屋を建築、旧社屋より移転

http://www.fukuyamacorp.co.jp/history2.html


ゼンリン地図69年版での福山商事の位置は上図。
下図は牧志大通り(50年代) 2で取り上げた「沖縄主要地・主要商工年鑑(1951)」を参考にしたもので福山商事の位置は赤ポインタ、青ポインタはゼンリン地図69年版での福山商事紙業部倉庫。


以下の創立の経緯等は「沖縄創業20社秘話/島尻雅彦」の186〜196ページを参考にまとめました。

福山朝弘(長男)は大連の進和鉄工で終戦。父親の福山朝規も同地で終戦を迎え両者は東京に引き揚げる。
福山朝計(次男/初代社長)は満鉄の経理部に勤めていたが、昭和17年[ママ]に沖縄戦に参加し生き残る。
朝計は基地内の米軍補給舞台に勤務していたが(資)丸久貿易を立ち上げる。丸久貿易は軍払い下げ物資の販売を主業務とし、昭和26年にはLCブームに乗りビール、サイダー、食用油などを本土から輸入する。
宮崎に復員し農業に従事していた朝一(三男)のところへ朝規と朝弘も移り住むが、沖縄で朝計健在との情報を得て昭和26年に沖縄へ引き揚げる。
親族会議を経て丸久貿易を引き継ぐ形で福山商事株式会社を設立、社長に朝計、専務に朝規、監査役に朝弘でスタートする。
当初は紙と文具を扱う。米軍払下の紙を扱うところから本土の製紙メーカーの輸入に移行、新聞社に巻き取り紙を納入するようになる。その後電気・水道資材や基地関係の電気工事関連業務なども手がける。
昭和33年には日本電気と新日本電気と提携し家庭用電化製品の販売(その頃の本社ビル一階は家電ショールーム)。
沖縄創業20社秘話(抜粋と要約)


本社ビルの一部はホテルに貸していたようなんですがゴタゴタもあったみたいです。

続いて、国際通り本社ビルテナントの家賃不払い問題がおきた。地階と3階、4階を借りてナイトクラブとホテルを経営していた業者が家賃をためたままになっていた。訴訟にまでもちこんだが、家賃3年分などの損害を被った。こうした中、苦難の昭和40年が暮れようとしていた。
沖縄創業20社秘話 p192(抜粋と編集)


これが福山商事ビル近辺で取り上げたホテル名の変遷の理由となるんでしょうか。

大川家具

安里にあった大川家具。

1961年 5月 (昭和36年)
那覇市安里にて個人経営の家具販売業を開設/店名「大川家具」
創業者 外間完和

http://o-kawa.jp/history/


創業にまつわる話が面白かったので抜出してみます。

1961(昭和36)年、沖縄物産展が那覇市久米町で開かれた。その時沖縄の人たちの目をひいたのは地元産の商品をはるかに凌駕する本土産の高級家具の数々だった。それらは家具の名産地福岡県大川の工業会が持ち込んだ大量の家具だった。しかし、当時の沖縄の所得からするとすべての家具を売り切ることはむずかしく、売れ残りがでてしまった。
沖縄の産業物産展に福岡県大川の家具を販売する企画をもちこんだのが、大川家具創業者の外間完和である。そして、売れ残りに責任を感じ、それを引取県内で販売を始めたのが外間が家具販売業をはじめる端緒となる。
創業者43歳の頃で、場所は今のホテルロイヤルオリオンの向いである。
沖縄20社創業秘話 p33、34(抜粋と編集)


69年のゼンリン地図では青ポインタが現ロイヤルオリオン、赤の位置が「大川家具店」、紫の位置は「おきぼう」となっています。

本土復帰の前年1971(昭和46)年に現在の土地建物をオキボウより購入。
沖縄20社創業秘話 p33、34(抜粋と編集)


以下余談。2008年頃(?)の一帯の風景。画像は動画からスクリーンショットで作成。

まもなく消えゆく国際通りの街並み~牧志・安里再開発事業~ - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=3eBgozqt3r4


創業者の外間完和さんはキャラウェイ旋風当時の琉球政府金融検査部長であったようです。

キャラウエイ旋風/命令なかった - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-113434-storytopic-86.html

参考:ポール・W・キャラウェイ - Wikipedia (在任:1961年2月16日 - 1964年7月31日)
参考:キャラウェイ旋風 - Wikipedia

沖縄自動車練習所(安謝)

よくわからないとこがあるのですがとりあえずメモ代わりに記録しておきます。

沖縄自動車練習所経営
比嘉勇輝
岡野区5班
大正6年首里当蔵生、昭和11年一中卒。卒業後千葉陸軍自動車学校に入隊、13年除隊。
戦後沖縄警察局交通課、1956年7月1日沖縄自動車練習所開設。
琉球人事興信録(1950)

※このデータは間違っていないと思うのですが引用先の書名が間違っています。

1966年の「現代沖縄人物三千人」では沖縄自動車練習所代表者、1968年の「沖縄人名年鑑」は「沖縄自練 那覇市西新町3の80 比嘉勇輝」となっています。
50年代は安謝の岡野区でしたが新しい埋立地の西新町に移ったようです。

角萬漆器(嘉手納漆器店)

角萬漆器の前身である「嘉手納漆器店」は、琉球王朝時代からの歴史と伝統を受け継ぐ琉球漆器の老舗で、太平洋戦争前には、沖縄県那覇市若狭町にありました。
戦後、[嘉手納]並裕氏はビールの空き缶を塗装した筆入れや米兵のジャンパーに絵を描くような仕事から始めて、昭和23年に嘉手納漆器店を再開しました。
戦後の沖縄の社会情勢が落ち着いてくると、一般の人々が重箱や椀類などを買い求めてくるようになりました。並裕氏は、事業の目処が立ってきたことで事業の拡大を決意し、昭和33[1958]年に三代続いた「嘉手納漆器店」を現在の「角萬漆器」に改称し、那覇市前島に工房を建設しました。

琉球漆器最古の老舗 角萬漆器|角萬漆器の歴史 (※抜粋と編集をしています)
http://www.kakuman.jp/kakuman/history.html


琉球漆器最古の老舗 角萬漆器|店舗情報を参照すると現在の店舗は三店舗(前島・国際通り・開南通り)のようです。
1959年の「琉球人名商社団体要覧」では次のようになっています。

角万漆器 経営主 嘉手納並裕
那覇市新生デパート向い・電話1091
◉琉球漆器製造販売(元若狭町嘉手納漆器店)


新生デパートは丸国マーケットとなりにありました。下図に関しては丸国周辺で説明してあります(時期的には50年代?)。

不明瞭であったかなかったかよくわかりません(すみません)。
60年代中盤の地図を見ると新生デパート向かいに角萬(角万)漆器は無く、山形屋の並びに角萬漆器はありますのでこの頃までには移転していたのだと思われます。
※後日59年以降の記録を参照して追記します

戦前の嘉手納漆器店を「わかさ民俗地図」で探すと漆器店とは書かれていませんがいくつか「嘉手納・カデナ」という名前があり、新里酒造のすぐ近くの「カデナ」が大通り沿いですのでここではないかなと思いますが確証はありません。
参考:グダグダ(β) 新里酒造

以下余談。写真は角萬のサイトのものを加工してあります。

向かって左に「知念」、右に「仲」と「建築」と見えます。52(昭和27)年頃だそうです。

希望ヶ丘服装学院

現桜坂劇場向かいにあった希望ヶ丘服装学院です。

那覇まちのたね通信 | 那覇/希望ヶ丘から桜坂オリオン、開南方面を望む
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1888



現在の希望ヶ丘公園内から現桜坂劇場を望んでいます。画像は建物に書かれた学園名。

那覇まちのたね通信 | 那覇(真和志市)/希望が丘公園
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1930



学園全景。四角い建物で、四方に学園名が書かれていた?

那覇まちのたね通信 | 真和志/松尾高台から市の北方を望む/戦後/右手奥に希望ヶ丘とグランドオリオンが見える
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1830


グランドオリオンは1955年開館。松尾からのアングルでも学園名が見えます。

オキナワグラフ1959年3月号の広告では、洋裁科、和裁科、調理科、生花科、盤景科、茶の湯科とあり院長は大山敦子となっています。
実は少し前に大山さんの訃報があり元希望ヶ丘服装学院長とありました。そこから拾ってみると享年96歳で竹富町竹富出身とのことです。そうすると1915(大正4)年生でしょうか。
学校の建物はもう無くなっていますが、桜坂劇場向かいあたりにここではないかと思われる敷地があります。

60年代中期の地図を参考にするとこのあたり(青)ではないかと。

【追記】54年撮影の写真に希望ヶ丘学園の看板が写っています。
http://naha.machitane.net/old_photo_big.php?id=2055

× CLOSE

ブログ内検索

アクセス解析

カレンダー

05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

最新コメント

[08/08 なちょうらーざ]
[07/19 shimoji]
[07/19 shimoji]
[03/21 2階の店舗の娘]
[03/05 福島敏彦]

× CLOSE

Copyright © グダグダ(β) : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]