角萬漆器の前身である「嘉手納漆器店」は、琉球王朝時代からの歴史と伝統を受け継ぐ琉球漆器の老舗で、太平洋戦争前には、沖縄県那覇市若狭町にありました。
戦後、[嘉手納]並裕氏はビールの空き缶を塗装した筆入れや米兵のジャンパーに絵を描くような仕事から始めて、昭和23年に嘉手納漆器店を再開しました。
戦後の沖縄の社会情勢が落ち着いてくると、一般の人々が重箱や椀類などを買い求めてくるようになりました。並裕氏は、事業の目処が立ってきたことで事業の拡大を決意し、昭和33[1958]年に三代続いた「嘉手納漆器店」を現在の「角萬漆器」に改称し、那覇市前島に工房を建設しました。
琉球漆器最古の老舗 角萬漆器|角萬漆器の歴史 (※抜粋と編集をしています)
http://www.kakuman.jp/kakuman/history.html琉球漆器最古の老舗 角萬漆器|店舗情報を参照すると現在の店舗は三店舗(前島・国際通り・開南通り)のようです。
1959年の「琉球人名商社団体要覧」では次のようになっています。
角万漆器 経営主 嘉手納並裕
那覇市新生デパート向い・電話1091
◉琉球漆器製造販売(元若狭町嘉手納漆器店)新生デパートは丸国マーケットとなりにありました。下図に関しては
丸国周辺で説明してあります(時期的には50年代?)。


不明瞭であったかなかったかよくわかりません(すみません)。
60年代中盤の地図を見ると新生デパート向かいに角萬(角万)漆器は無く、山形屋の並びに角萬漆器はありますのでこの頃までには移転していたのだと思われます。
※後日59年以降の記録を参照して追記します
戦前の嘉手納漆器店を「
わかさ民俗地図」で探すと漆器店とは書かれていませんがいくつか「嘉手納・カデナ」という名前があり、新里酒造のすぐ近くの「カデナ」が大通り沿いですのでここではないかなと思いますが確証はありません。
参考:
グダグダ(β) 新里酒造以下余談。写真は角萬のサイトのものを加工してあります。

向かって左に「知念」、右に「仲」と「建築」と見えます。52(昭和27)年頃だそうです。
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