那覇市は戦後の一時期1〜10の「区」で分けられていました。
参考:
戦後の那覇の区
3区というのは壷屋あたりになりますが、3区12・14組は現在三原1丁目になっているようです。ややこしいのですが昔の壺屋の範囲から三原1丁目になったところがあるということです。
※範囲や境界はいい加減なものです表の比較から那覇3区と書かれてあるのを抜出します。
※表記は「南部酒造組合」[泡盛生産高表(56年)][酒造組合名簿(62年)]です。
親泊元信/壷屋町277番地[那覇市3区12班/親泊酒造工場][10.マルゲン酒造合資会社/(元)泡盛/那覇市壺屋町] ->元信からマルゲンかと推測親泊元信さんの住所から。
那覇市新旧住所検索システムでは「壷屋町277番地」は壺屋2丁目12番あたりと表示されますが、手元に在るそのあたり(共和通り北)の昭和中期ゼンリン地図のコピーを見ると壺屋の190番台から210番台くらいの住所になっていますので那覇市新旧住所検索システムが間違ってるんでしょう(?)。
ミドリ薬品三原店が沖縄県那覇市三原1丁目13-1、ゼンリン地図での住所は壷屋244番台です。
また
那覇の酒造家たちでは「屋宜光一/壷屋町294番地」というのもありますがこの人も3区12組あたりでしょうか。
仲本興公/壷屋町201番地の2[那覇市3区14組/仲本酒造工場][34.仲本酒造場/中・泡盛/那覇市壺屋町]次に仲本興公さんの住所。
昭和中期のゼンリン地図で「壺屋201-2」だった場所は現在那覇市三原1丁目14-6になっています。
沖縄県那覇市三原1丁目14−6 - Google マップこの場所はゼンリン地図では「仲本興和」と表記されています。
自分が描いた3区14組の範囲では喜多通りを境界にしてありますがその北側の16組の範囲は正確にはよくわかりません。川沿いは安里橋大通りを境に14組だったのかもしれません。
また
那覇の酒造家たちでは「新垣芳春/壷屋町201番地」という名前も見えますが、ゼンリン地図では仲本興和さんの後隣りに「新垣吉春」さんという名前が見えます。
那覇の酒造家たちで取り上げた「南部酒造組合の名簿」での名前と住所は、その場所に酒造所があるとは限らないということでまとめられるかと思います(トホホ)。【追記】沖縄主要地主要商工年鑑に「仲本酒造工場」や「

親泊酒造工場」がありました。
詳しくは
酒屋新垣・仲本酒造工場や
親泊酒造工場・第二大城酒造所を参照して下さい。