沖縄県人事録(昭和12)から神元繁宜の項目を抜粋して引用します。
神元繁宜
酒造業(神泉泡盛醸造元)
那覇市上泉町1ノ48
君は明治24(1891)年を以て那覇市に生る。先代より多年宮古郡下平良町に居住し、同郡煙草元売捌店を経営して声望大なりしが、昭和6年同地を引き上げて帰郷し、上泉町に於いて酒造業を営む傍ら、西本町に塩元売捌店を経営して今日に至る。其製品たる泡盛「神泉」は早くも其優質を県内外に知られて居り、殊に県外移出に於いては、断然頭角を表し将来を期待さる。趣味盆栽。専売局と縁がある人ですね。
参考:
煙草元売捌 - Google 検索参考:
大蔵省専売局 - Wikipedia酒造で気になるのは首里系などの酒造り一族ともいえるような人達と当間重民や神元さんのような酒造とは関わりを持っていなかったであろう人の関係です。
泊で酒造を始めた人達が麹を扱いきれずにすぐ廃業してしまったというのを読んだ覚えがありますが素人が発酵を扱うのが難しいのは想像できる事です。当間重民(親は政治家)や神元さんも酒造の技術はおそらくなかったはずなので当然酒造専門家の力を借りなければならなかったはずだと考えられますが大正・昭和ともなると首里三箇(
Wikipedia)だけが酒造専門家ではないはずなので酒造業の開業もそれほど難しくはなかったのでしょうか。
またこの時期の酒造家は県内消費だけではなく盛んに内地へ輸出も行っていますから、資本と経営手腕も重要だったはずです。

上泉は昔の湧田、現在は下泉と一緒になって泉崎となっています。
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