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表の比較

泡盛生産高表(56年)の酒造組合名簿(62年)の二つと比べてみます。
表記は「南部酒造組合」[泡盛生産高表(56年)][酒造組合名簿(62年)]です。

新垣芳春/壷屋町201番地
新城安盛/安謝205番地[--/--][3.合資会社安謝酒造所/(福)/那覇市字安謝]?
糸数宗信/大道151番地
上原良煕/安里388番地
親泊元信/壷屋町277番地[那覇市3区12班/親泊酒造工場][10.マルゲン酒造合資会社/(元)泡盛/那覇市壺屋町] ->元信からマルゲンかと推測
神村盛英/松川301番地[真和志松川区/神村酒造所][14.合資会社神村酒造所/神村/那覇市字松川]
賀数哲次/小禄森口原1201番地[那覇市小禄区/みなと酒造合資会社][15.ミナト酒造所/宝泉・千鳥/那覇市字小禄森口原]
佐久本尚哉/寄宮122番地
城間宏睦/小禄645番地[--/--][37.宮里酒造所/春雨/那覇市字宇栄原] ->※現在の住所から確認
識名 謙/大道366番地[--/--][24識名酒造場/時雨/那覇市字大道]
島袋守輝/牧志町2丁目640番地[那覇市5区25組/新里酒造所][25.合資会社新里酒造所/コ)琉球・朝日/那覇市牧志町]
謝花 寛/安里447番地[--/--][26.合資会社謝花酒造所/琉球泡盛・白菊/那覇市字安里]
玉那覇有義/末吉2丁目195番地[那覇市末吉区/沖縄酒類醸造KK][27.沖縄酒類醸造株式会社/瑞穂/那覇市首里末吉町]
平良正蔵/大道207番地の1[--/--][29.久米仙酒造株式会社/久米仙/那覇市字大道]
津波古充章/与儀149番地[--/--][33.合資会社太平酒造場/太平/那覇市字与儀]
仲本興公/壷屋町201番地の2[那覇市3区14組/仲本酒造工場][34.仲本酒造場/中・泡盛/那覇市壺屋町]
宮里喜正/牧志町2丁目400番地
宮國定令/識名998番地[--/--][38.宮国酒造合資会社/銀泉梅酒/那覇市字識名]?
宮本 正/崇元寺町1丁目9番地
山城堂立/大道364番地
屋宜宣徳/松川279番地
屋宜光一/壷屋町294番地


「新垣芳春/壷屋町201番地」は[1.合資会社新里酒造所/芳春/那覇市壺屋町]は銘柄名と住所からの推測。
「糸数宗信/大道151番地」は[7.合資会社竜泉酒造所/竜泉/那覇市字大道]?
両表に安謝は一ヶ所しかないので「新城安盛/安謝205番地」は[3.合資会社安謝酒造所/(福)/那覇市字安謝]だろうか。

「謝花 寛/安里447番地」と[26.合資会社謝花酒造所/琉球泡盛・白菊/那覇市字安里]もいまいち確信がない。
謝花酒造所は58年の住所録にも「謝花酒造工場/白菊/真和志安里1区7班」として表記がある。
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那覇の酒造家たち

「沖縄県酒造組合連合会史」の79ページ、南部の名簿から那覇と真和志に住所がある人間を抜出しました。名前や住所が酒造所と一致する人もいるのですがそうでない人もいます。このあたりの事情というか当時の実情は今のところわかりません。
時期についてですが住所の表記的には泡盛生産高表(56年)よりあとでしょう。

新垣芳春/壷屋町201番地
新城安盛/安謝205番地
糸数宗信/大道151番地
上原良煕/安里388番地
親泊元信/壷屋町277番地
神村盛英/松川301番地
賀数哲次/小禄森口原1201番地
佐久本尚哉/寄宮122番地
城間宏睦/小禄645番地
識名 謙/大道366番地
島袋守輝/牧志町2丁目640番地
謝花 寛/安里447番地
玉那覇有義/末吉2丁目195番地
平良正蔵/大道207番地の1
津波古充章/与儀149番地
仲本興公/壷屋町201番地の2
宮里喜正/牧志町2丁目400番地
宮國定令/識名998番地
宮本 正/崇元寺町1丁目9番地
山城堂立/大道364番地
屋宜宣徳/松川279番地
屋宜光一/壷屋町294番地

泡盛生産高表(56年)

「沖縄県酒造組合連合会史」の「泡盛生産高表/割当表」(22ページ)から抜出しました。表には割当量の数字がありますが省略、泡盛生産高の下三桁は省いてあります。
生産高表記の例として、神村酒造所の「373,400」を「373」のようにしました。単位は表中にはありません。
期間は「自 1956年1月 至 1956年12月」となっていて、年度ではなく1956年の計算になっています。
場所の表記は一例として「那覇市首里鳥堀区」と「那覇市鳥堀区」のように混在しているものがありましたが前者に統一しました。那覇・首里・真和志の強調は自分によるものです。

神村盛英/真和志松川区/神村酒造所/373
玉城清義/糸満町4区28班/玉福酒造工場/984
親泊元信/那覇市3区12班/親泊酒造工場/623
佐久本政敦/那覇市首里崎山区/瑞泉酒造工場/1211
佐久本政良/那覇市首里鳥堀区/佐久本酒造工場/734
金城栄○/南風原村照屋/金城酒造所/126
城間政良/那覇市首里崎山区/城間酒造所/101
鉢嶺信二/那覇市首里鳥堀区/鉢嶺酒造所/341
島袋盛輝/那覇市5区25組/新里酒造所/737
比嘉昌広/与那原町与原区/比嘉酒造工場/653
玉那覇有義/那覇市末吉区/沖縄酒類醸造KK/548
仲本興公/那覇市3区14組/仲本酒造工場/1689
赤嶺恒春/豊見城村字金良/赤嶺酒造工場/179
玉那覇 明/北谷村謝刈区/玉那覇酒造工場/481
石川栄良/宜野湾村大山区/三洋酒造所/760
諸見里蒲戸/具志川村上平良川区/諸見里酒類製造所/(甲)2407、(乙)1002
安田繁史/具志川村平良川区/泰石酒造工場/(甲)1387、(乙)177
松井 蒲/勝連村内間区/松井酒造所/378
与儀幸光/国頭村浜区1班/与儀酒造所/525
玉那覇仁栄/恩納村字恩名/恩名酒造所/274
奥間慶幸/金武村金武1区/6/金武酒造所/172
山川宗道/本部町並里区/山川酒造工場/333
幸地行啓/宜野座村字宜野座/幸地酒造所/165
石川 清/本部町東区/石川酒造工場/691
大嶺深水/大宜味村田嘉里/田嘉里酒造KK/315
玉城忠次郎/国頭村奥区/奥酒蔵工場/100
賀数哲次/那覇市小禄区/みなと酒造合資会社/304

※○は方に乚

新里康毅

沖縄県人事録(昭和12)から新里康毅の項目を抜粋して引用します。

新里康毅
酒造業(砂糖委託倉庫兼業)
那覇市松山町
君は明治33(1900)年を持って首里市赤田町に生る。大正11年大阪東成区桃山中学校を卒業し直ちに家業について今日に至る泡盛醸造の傍ら西新町に砂糖蔵置場を経営し砂糖委託商を兼業せり。その経営せる泡盛工場の如きも逐年設備を改善し、品質の向上に専念して断然声価を高めて居り、大阪に直売店を設けて県外移出に先鞭を付けるなど、躍進的な業績多々見るべきものあり、兼業砂糖委託部に於ても新歩的施設の下に業績顕著なるものあって、同業界に重きをなせり。趣味旅行。


新里は大阪に店舗も持っていたんですね。
大正14年の沖縄朝日新聞に新里康昌商店の広告がありますが、康毅さんはこの店をみていたと思われます。

内外 米穀 泡盛 肥料 砂糖 委託
那覇市西新町2ノ37
新里康昌商店
電話434番

新里康信 2

沖縄県人事録(昭和12)から新里康信の項目を抜粋して引用します。
新里康信の続きでもあります。

新里康信
酒造業
那覇市若狭町1ノ85
君は文久3(1863)年を以て首里市赤田町に生る。新里康昌氏の令弟にして夙に一家をなし、弱冠を越ゆるもの漸く四にして酒造業を営み、奮励努力ついに今日の大を成せり。其経営になる泡盛工場は実に50余年の歴史を有し県内屈指の老舗たり、製品の優秀亦暖簾と共に古くから県内外に知られ、殊に県外移出に於いては、夙に大阪に出張所を儲けて販路の拡張に当たり同業界に先鞭をつけており、以て君の事業的手腕知るに足るものあるべし。
孫光司君(大12)


まず新里康信では康昌さんの三男と書いてしまったのですがよく見ていなかった故の勘違いでした。沖縄県人事録では弟と書かれています。
新里康昌さんが安政2(1855)年ですから8つ違うんですね。

新里康昌さんの新里酒造が那覇市若狭町2ノ2()、新里康信さんは那覇市若狭町1ノ85()となっています。

新里康昌

沖縄県人事録(昭和12)から新里康昌の項目を引用します。

新里康昌
米穀肥料商(カネコ新里商店経営)
那覇市若狭町2ノ2
君は安政2(1855)年を以て首里市赤田町に生る。幼時漢籍を修めしのみにして学殖豊富ならざれども、頭脳明確にして非凡な見識を有し、多年本県実業界の王座を占めて今日に至る。其兼営せる事業のみにても、泡盛醸造、石炭販売其他数種をかぞえ、何れも堅実な歩調で隆盛を極めており、県内随一の実業家と称しても敢て過言にあらず。天資温厚にして恭謙思慮緻密、然も心を持すること公明正大にして身を保つに節倹質朴なり、而して時勢に明るく、商機を見るに明敏にして今日の大成因なき事にあらざるえし。趣味盆栽。

長孫康保君(明治33)、曾孫雅宣男(大8)、同康三君(大10)、同光司君(大12)、同雅一君(大13)、同光也君(昭2)、同陽弘君(昭和9)、他に孫康亮長男康二君(大2)がある。


酒造業だけではなく、米穀肥料商や石炭販売などさまざま事業を行っていたようです。さすが金持ちとして名前があがるカネコウだけありますね。

【追記】「沖縄県人事録/楢原翠邦編(大正5)」では安政元年生となっています。
画像は「沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫」よりダウンロードしたもので画像加工してあります。
新里康昌

大城昌貞

沖縄県人事録(昭和12)から大城昌貞の項目を引用します。

大城昌貞
酒造業(美栄泡盛醸造元)
那覇市久茂地町2ノ77
君は明治11年首里市鳥堀町に生る。当家は代々酒造を以て家業として居り、君また二十歳の弱冠をもって父祖伝来の家業を継いで今日に至る。美栄橋の名にちなむ「美栄泡盛」の名は暖簾と共に古くから知られて居り、大正3年東京に於いて開催されたる大正博覧会に出品して入賞以来縷々各種品評会に出品して入賞、昭和10年11月の九州沖縄酒類醤油品評会に於いては特選賞金牌を受領し、いよいよ其の真価を内外に知らる。天資温厚謹厳、寡黙なれども他に親しまれるの美質あり、然も進取的気象に富んで恒に業界向上のために尽し、各方面の信望大なるものあり、推されて那覇商工会議所議員たり。酒造組合評議員其他の要職を有す。趣味盆栽。


もともと首里鳥堀町の酒造家出身、久茂地町二丁目で泡盛製造業を営んでいたということですね。この時期の泡盛はビンで売られていませんから輸出する際に銘柄がつけられていたようです。
旧那覇市街西側
那覇民俗地図にも「戦前の久茂地民俗地図」にも「大城」や「美栄泡盛」の表記はありません。道の向こう側の那覇潟原(松山町2丁目)には玉那覇酒造所があるんですが...
場所は久茂地町(昭和4)を参照してください。

ともあれ戦前の酒造業界で触れた酒造連合会の三代目会長(1934〜36)ですから酒造界でもそれなりの力があった人なのは確かです。

戦前の酒造業界

「酒連50年」から「戦前の酒造業界」を抜粋します。

酒造連合会が結成されたのは昭和3年、時の内務部長を初代会長として発足した。大正末から昭和初期にかけては世界的大恐慌で県経済は四苦八苦の状態であった。酒造界の立直しとして、行政指導と業界育成のため、県内務部長が会長職を兼任することとなったのである。
昭和3、4、5年が業界にとっては一番苦しい時期で、多くの酒造所が倒産のやむなきに至った。二代会長は南洋酒造株式会社の平尾喜三郎氏、三代が大城昌貞氏で任期はそれぞれ2年ほどであった。昭和10年8月、大城会長の後を受けて四代会長に私[石川逢篤]、副会長に佐久本政良氏が就任した。昭和10年頃より業界も活況の兆しが見え、12、13、14年にかけて販売拡張のため東京や大阪、福岡などに宣伝隊を繰り出し大々的な泡盛PRをした。
昭和16年に全国統制令が出された頃には、殆ど原料米の購入はなくなり、(略)移出は完全にとだえ、島内需要さえ賄いかねる状態であった。
昭和16年の統制令を機に、沖縄酒類販売会社を設立する。社長に私[石川逢篤]、専務に佐久本政良氏、当間重民氏、取締役に宮城亀寿氏、津嘉山至亀氏、中尾平一郎氏、常任監査役に神谷実徳氏、監査役に崎山英保氏、宮城安一郎氏を選出、原料米購入、販売割当を一括して行い、統制経済下の社会的要請にこたえた。
酒連50年/戦前の酒造業界 石川逢篤 p143、p144(省略と抜粋)


戦前の酒造界のようすですが、大正末から昭和にかけての大不況(ソテツ地獄)の影響をくらっているのがわかります。酒連50年にある歴代会長の名前は以下の通りです。
初代(1928〜30) 永田亀作
第2代(1930〜34) 平尾喜三郎
第3代(1934〜36) 大城昌貞
第4代(1936〜50) 石川逢篤
第5代(1950〜51) 花城清用
第6代(1951〜52) 佐久本政良
第7代(1952〜53) 赤嶺恒春
第8代(1953〜57) 山川宗道
第9代(1958〜60) 崎山起松
第10代(1960〜68) 玉那覇有義
第11代(1968〜70) 佐久本政敦
第12代(1970〜72) 崎山起松

復帰までを抜出しました。初代は役人、二代目は平尾商店の喜三郎、三代目は那覇市久茂地「美栄泡盛」、四代目は那覇市通堂町「朝日泡盛」、六代目は咲元酒造、八代目は山川酒造、九代目(十二代目)は崎山酒造廠、十代目は瑞穂酒造、十一代目は瑞泉酒造です。
三代目と四代目は「泡盛とともに」を参考にしました。

https://hs32.drive.ne.jp/zuisen.co.jp/aboutus/legend/article_11.html
昭和十年代の酒造場がどのような状況だったかを、昭和十二年の『沖縄人名録』でみてみる。当時、那覇市で十五軒、首里で四十八軒、その他本島内には真和志、大里、小禄、北谷に各一軒、名護に三軒の計七軒、宮古に八軒、八重山に十二軒の合計九十軒の泡盛業者があったことがわかる。
また、昭和十二年の『沖縄県人事録』(高嶺朝光編)には、何人かの酒造業者がとりあげられており、それぞれの銘柄が記載されている。たとえば「朝日泡盛」の那覇市通堂町の石川蓬篤氏「美栄泡盛」の那覇市久茂地の大城昌貞氏「神泉泡盛」の那覇市上泉町の神元繁宜氏、「喜屋の梅」の首里崎山町の喜屋武幸俊氏、「松藤泡盛」の首里崎山町の崎山起松氏、「咲元泡盛」の首里烏堀町の佐久本政良氏、「太平泡盛」の那覇市垣花町の津波古充章氏、「清水泡盛」の垣花町の仲村清栄氏が銘柄とともに紹介されている。

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