辻で営業している料亭那覇の本店の歴史をまとめてみます。
昭和25(1950)年 那覇市ガーブ川沿いに「料亭那覇」を新築移転
昭和31(1956)年 那覇市辻に「料亭那覇」新築移転
昭和41(1966)年 料亭那覇本店(辻)米兵の放火で消失、料亭那覇再建
会社案内:料亭那覇 〜伝統琉球のおもてなし〜
http://www.ryouteinaha.com/?men=7上江洲さんを人事録風にまとめます(参照したのは下記サイト)。
http://www.geocities.jp/yuminuyu/tuji15.html上江洲フミ(料亭那覇)
大正2(1913)年、八重山黒島生まれ、久米島で育つが辻に身売りされる。平尾喜一に身請けされ第三新鶴楼のアンマー格として働き、首里出身の上江洲安儀と結婚する。昭和20年大分県に疎開するが夫は戦死。
昭和21年12月帰沖、昭和23年から25年まで「金武湾ホテル」、昭和25年ホテルを引き払いガーブ川沿いに料亭那覇を開業する。
昭和27年に辻の土地を購入し昭和31年に料亭那覇を移転させる。昭和28年には東京日本橋に料亭那覇の支店を開業させるが本店が火災にあったため昭和41年に閉店させ焼失した本店を再建する。
平成5年4月に82歳にて逝去。上江洲さんは
「一町村に一軒だけ民営のホテルが認可される」という話のもと金武湾ホテルを開業しているのですが、これで戦後に割と田舎の辺りにホテルがあった理由がわかりました。料理を出すことも可能であったホテル業は辻での技能(調理や芸事)を発揮することが出来た料亭的側面もあったのでしょうか。

図は昭和26年の最新那覇市地図を参考にしたものです(ほとんど模写ですが)。下の横線が国際通りで真ん中の水色がガーブ川(沖映通り)、中央にあるのが料亭那覇です。