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山田有幹

山田有幹(やまだゆうかん)
明治21(1888)年-昭和50(1975)年
大正-昭和時代の社会運動家。
那覇生まれ。一中卒、代用教員、新聞記者を経て那覇区役所に勤務。大正10年那覇市会議員となり、無産派議員として活動。15年沖縄青年同盟を結成、昭和3年労農党那覇支部を設立するが同年三・一五事件で逮捕され組織解散させられた。戦後は軍関係労働委員、沖縄民政府社会事業部長などをつとめた。


社会主義者たちで少し戦前の社会主義について触れました。しかし社会主義運動も「社会科学研究会事件」「沖縄教育労働者組合(OIL)事件」などで次第に弱体化し沈黙させられてゆくのですが運動の中心人物の一人が山田有幹でした。
OIL事件は悲惨な結末を迎えます。

この弾圧で、真栄田(一郎)ら中心メンバー四人に対する取り調べは特にきびしく、安里成忠は拷問によって予審をまたずに発狂、真栄田も刑確定のあと発狂し、両人まもなく死亡している。この事件の公判において在京の比嘉春潮ら有志の働きかけによって布施辰治弁護士が弁護人として活躍し、沖縄の無産階級に大きな感動をあたえた。
沖縄県史別巻/沖縄近代史辞典 p55


この真栄田一郎(之璞/しぼく)は伊波普猷の妻であった真栄田冬子(忍冬)の兄妹です。

伊波普猷と「新しい女たち」。沖縄組合教会設立(1916/大正5年)の頃。前列左より永田八重子、真栄田冬子(伊波冬子)、比嘉初子(富原初子)、永田美津子、永田文子。後列左より知念芳子(金城芳子)、伊波普猷、比嘉静観、伊波普成(月城)、照屋寛範。

山田有幹は伊波のサークル周辺で恋愛をし結婚をしています。
こうして見ると明治・大正期の知的サークルだった伊波普猷周辺は社会運動とも交差していますね。

沖縄の「新しい女」として知られるようになったのが以下の5名である。
富原初子、真栄田冬子、玉城オト、金城芳子、新垣美登子。

玉城の場合、伊波のサークルに出入りしていた山田有幹をつうじて社会科学研究グループにかかわるようになるが、既婚で子供もいる有幹と恋愛関係に入る。この「不倫」に対する社会の非難は厳しく、玉城はしばらくして勤めていた小学校を辞職せざるをえなくなる。のちに有幹と結婚し、生まれた息子に「冷人(レーニン)」と名付けたが、その後、子供が病死すると有幹と離婚、1927年には再婚をしてブラジルに移民として出国した。
モダンガールという問い p8、9(抜粋して引用)


参考:社会主義者たち
参考:新しい女たち
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