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伊波冬子の晩年

「沖縄人物シネマ/牧港篤三」に帰郷後の伊波冬子(伊波普猷夫人)の様子がありました。

昭和36年に親泊政博、宮里栄輝等が中心となって、浦添城趾に伊波霊園を設けて、婦人が遺骨を抱いて帰り、故山に迎えた。郷里に帰られてから冬子夫人は、[伊波]先生の「琉球の五偉人」を平易に書き改めたり、放送したりして生活を支えておられたが、ついに人の情けにすがり私の近くの松川に、わずか六畳の部屋を借りてほそぼそと暮らしておられた。先生のご位牌を安置してあるだけで、琉大に譲り渡した残りの先生の旧稿や遺書を包んだ風呂敷があるだけで、調度品らしいものもなかった。それからタルーヤッチーと若い頃から親しみ慕っておられた山田有功先生ご夫妻のご好意で、先生の離れ家に引き取られて余生を送られた。
沖縄人物シネマ/牧港篤三 p183(一部編集)


1959(昭和34)年の春、冬子さんは郷里沖縄に帰ってきた。冬子さんの本籍地が東京都中野区となっているため、帰郷するのにも、当時はパスポートを必要とした。生まれ島の那覇に帰っても、転々と居を移している。やがて、山田有功さんの離れの六畳間一間台所付きトタン葺きの家屋に冬子さんは住み着いた。
沖縄人物シネマ/牧港篤三 p186


伊波普猷の命日は物外忌として墓のある浦添で夏に行われています。
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