沖縄にも社会主義の波はきています。
城田徳隆さんは師範を卒業しても教師にはならずに那覇の大門の前にLS書店という書店を開いて、社会主義の書物ばかり売っていました。(略)
第一次世界大戦終結後、沖縄の教育界にいたこともある山本実彦氏が、東京で改造社を創立し、同年4月に総合月刊誌「改造」を創刊して、デモクラシー思想高揚の時代の寵児となり、官憲からは危険思想の宣伝紙として見られ、読者は社会主義危険思想家としてブラックリストにのせられるという時代でした。
ところが「改造」の発行部数は三万にも及び、県別にすると沖縄が日本一の愛読者を持っているといわれておりました。
沖縄県史物語 p248、249(省略と編集)
沖縄の歴史研究家比嘉春潮氏は、大正時代は社会主義者として、山田有幹氏や泉正重、渡久地政憑の諸氏とともにマルクス資本論などを読んでいました。
1919年、山本実彦氏によって創刊された改造社、その総合雑誌「改造」の創刊にあたっても、わたしは比嘉春潮が相談相手になったと理解しております。
改造の応募小説に当選して文学青年をうならせた「奥間巡査」は、われわれ沖縄の文楽人池宮城寂泡であったことも思い浮かべられます。
沖縄県史物語 p284(省略と編集)比嘉春潮さんの自伝などでこのあたりの様子がわかります。糸満グループと壷屋グループがあったらしいですが、その中には座安盛徳さんなど後年の名士もいました。
以下は関係ない放言として。
今検索してみて座安さんのあれこれが出て来たのですが、当時米政府の意向に添わない出版物発行の危険性がわかっていませんね。CICによる拷問なども国場幸太郎さん(国場組とは別人)も体験されているこような状況ですので、なにごとも根回しが無ければ危険です。
CICが何をやっていたかというのは正確にはわかりませんが組織の性格上あらゆることに手が伸びていたと考えていいでしょう。そういう中での綱渡りは単純な正義だけではやっていられなかったはずですよ。
沖縄に関しては昨今<知らなかった><本当の>などしゃらくさい内地人によるルポがありますが、そんなもの知られようがなんだろうがかまやしないのです。かつてみんなが知っていて時代とともに忘れ去られようとしていたことを掘り起こして得意顔されても「だからどうした」としか言えないのですよ。
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