琉球人事興信録より山本時計店主の山本宗盛の項を抜き出します。
山本宗盛(旧姓 謝敷)
那覇市16組
氏は明治43(1910)年那覇市上之蔵町に生る。
和歌山に渡り時計、表具、書道等の修行に没頭 技術を習得して帰郷するや、辻町端道において謝敷表具店を開業、まもなく天運繁忙を極め傍ら辻町町内会会長に推薦せられ(略)終戦に至る。
この後山本時計店を開業し、市内屈指の店として同業界に重きをなし(後略)辻は上之蔵通りに平行して三つの道が走っており、上之蔵に近い順から、端道(ハタミチ)、中道(ナカミチ)、前道(メーミチ)と呼ばれています。辻は格子目状の町並みで三つの道に直角に交差する道もあり、その道は三つの道の間を結ぶ短い間隔それぞれが名前をつけけられています。
端道と中道の間を結ぶ道の一つに「畳屋スージ」というのがあり端道沿いに畳屋と書かれています(那覇市史内の辻地図による)。もしかしたらこの畳屋が謝敷表具店だったのかもしれません。
ついでに書いておくと「那覇市史資料編第二巻中の7」にはp132、133に「旧辻遊郭之図」というものがあり、終戦直前那覇警察が取り締まりのために作成したものに補記したものという但し書きがあります。
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