沖縄県人事録(昭和12)から我喜屋良徳さんです。
我喜屋良徳
薬種商
那覇市松下町1ノ10
君は明治27年を以て国頭郡今帰仁村字勢理客に生る。郷学を卒へて直ちに実業に志し、那覇市楠見薬店に店員となりて精勤すること十ヶ年、多大の信用を博して重く用ひられるところありしが、大正8年8月独立経営の為に同店を退き、同時に現住所に於いて薬種商を営み今日に至る。今や市内屈指の薬舗として発展し、声望隆にたるものあり、更に一段の大成を期待さる。
場所は「戦前の久茂地村民俗地図」を参考にしました。県庁側から御成橋を渡り、マークヤードスージをまっすぐ行って久茂地大通りを左折した右手です。
「戦前の久茂地村民俗地図」では「我喜屋(くすり)」と書かれていますが、昭和初期の那覇市街図(国場組社史掲載)では「我喜屋薬舗」と書かれています。
我喜屋さんは後年琉薬(
琉薬 - Wikipedia)の社長も務められたようです。
1955年7月2日 代表取締役社長 我喜屋良徳就任
沿革 | 琉薬
http://www.ryuyaku.co.jp/history/index.html検索してみると1958(昭和33)年のオキナワグラフに人物紹介で掲載されているようです。手元の人事録には写真も載っているのですが青年といった風貌で、オキナワグラフでの63歳時の風貌との差がなんとも年月を感じさせます。
オキナワグラフは電子書籍化されていて試し読みができます。
オキナワグラフ 1958年4月創刊写真ニュース誌 1958年11月号
http://okinawa-ebook.wook.jp/detail.html?id=212086関係ないのですがマークヤードスージには宮古宿跡(現琉銀?)があります。
マークヤードゥ /maakujaadu/宮古宿
宿の名。宮古の役人の宿泊所。1609年まで、先島関係の上納事務のすべてを行っていた。通堂町の那覇埠頭(現在の沖縄製粉付近)にあった。
http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN51575