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ガーブー

那覇市北西部はかつて浅い海が広がっており、ガーブ川下流部も船増原(樋川付近)まで入り江となっていたが、1451年に長虹堤と呼ばれる堤防が造られてから陸化が進んだ。下流部は昭和初期に至るまで湿地帯であったことから地元の言葉で湿地を意味する「ガーブー」よりガーブ川と名付けられた。
ガーブ川 - Wikipedia


個人的な語感としてはガーブー、ガーブと呼ぶ人の方が多いですが、ゴーヤーとゴーヤみたいな感じで後者には未だに違和感があるな。
那覇の古海岸線
船増原は上図で確認できますが、あのあたりまで入り江だったというのもどうにも信じがたいです。
沖縄国際大学のサイトから面白かったのを引用します。

http://ir.okiu.ac.jp/bitstream/2308/225/1/12_002.pdf
ガーブ川が私有地であるために、改修工事を逡巡させる問題を引きおこした。兼次市長が指摘したガーブ川問題の七不思議とは、地主が借地料を取りながら借地人の管理義務を怠り、管理義務と改修責任の矛先が那覇市に向けられて当然とされている不思議さでもあった。
ガーブ川水上店舗の主な土地所有者は、高良盛一氏(なみさと商会経営)、安村善太郎氏(安村書店経営)、上岡作太郎氏(勉強堂経営)、辰野元造氏(文具商廣島屋経営)の主要地主を含めて9名であった。


なみさとはまだあの辺で商売してますね。
昭和四年相当の民俗地図では緑が丘公園あたりから下はすべて畑になっています。

新店舗への入居資格者は、勉強堂に地代を支払ってガーブ川上で営業していた者で組合加入者であることを条件にした。そのため花屋組合員はガーブ川周辺で営業していても、場所使用料を市当局に支払っており、新店舗への入居を強く要求したが除外された。那覇市は花屋組合員を新築予定の公設市場(第2公設市場)への収容を約束、その間新栄通りの仮設店舗で営業することになる。

当時の市長のイヤミまじりのような名言(?)が笑えます。

ガーブ川商店街組合結成大会における兼次佐一那覇市長の挨拶の中で披露された「ガーブ川の七不思議」は次の通である。ガーブ川問題を総括しているようでもあり、全てが「常識」の嘘をついた指摘である。
(1)戦前は田んぼにも畑にもできないようなガーブ川一帯がいつの間にか那覇市の中心商店街になったこと。
(2)このガーブ川の上にいつの間にか水上店舗ができたこと。
(3)川というものは地主はいないのが常識だがガーブ川は地主がいる。
(4)沖縄の経済的中心地で立派な商店街であるが、毎年の雨で浸水し莫大な被害を蒙っているのに、誰もこれを改修しなかったこと。
(5)不法建築物だからこれを市長に撤去せよということ。
(6)ガーブ川は大変臭いがそこに住んでいる人はちっとも臭くないということ。
(7)雨が降り氾濫すればいつも水上店舗のせいだといわれてきたが地主はそれを修理して安心して商売できるようにしなかったことである


この七不思議の背景を追って並べてみると
•那覇市の戦後復興期の米国占領下にあって、市民の旧市街地への移住禁止により県内外からの疎開民や避難民は、早期に解放された壺屋町・牧志町を中心とする現在地に集中的に移住して戦後生活をスタート
•1947年11月頃に開南に闇市が自然発生
•那覇市は公共の立場から元市役所跡地に四百二十六坪の敷地を確保して1948年4月初旬に市場を移転
•米軍の支配管理下にあった旧市街地が漸次開放され使用可能になっても中心市街地は旧市内に戻らず周囲の発展とともに発展

というところでしょうか。
那覇市からすれば戦後の闇市の土地所有者と店子との関係になかなか行政が立ち入れず責任追求ばかりされてしまい、あげくは都市計画までがそれに引きずられてしまったという感じでしょう。
戦前の東町の商いがすっかり消えて、新那覇市のど真ん中のガーブー一帯が繁華街になるとは誰も予想できませんよね。
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ガーブーの橋

暗渠化以前のガーブー周辺の橋と街区です。

ガーブーの橋
第一街区 むつみ橋〜栄橋
第二街区 栄橋〜千歳橋
第三街区 千歳橋〜新栄橋
第四街区 新栄橋〜平和橋


ゼンリン地図から暗渠化以前の橋の位置を一部書き込みました(赤)。

アンガー(壺川)

戦前の水売り、ウイクー三郎の様子です。

有名なウイクー三郎は、小人みたいな町の道化師でした。
「アンガー(泉の名)マーサ水」と2つのウイクになみなみと満水して、天びん棒でかついで家々軒々をまわりました。ウイクー三郎こそ水行商売の元祖です。
アンガーは古波蔵の南のはずれ、俗称阿田川原にあります。ウイクー三郎は、その阿田川原のアンガ(淵下)にあるアンガーの泉の水を汲んで「くみたての真水、マーサ水」とふれあるいたものですから、水のくさるほどある古波蔵から大声をはりあげて歩いても、だれひとり買う者はいませんでした。それでも彼はクソまじめに、炎天の下を水行商に出かけたものです。毎日々々彼の宣伝文句は違いました。
「若返りの水」になったり「精力増進の水」になったり、しまいには「アタマのよくなる水」とまでいう始末です。そのコマーシャルの才にかけては、今日のコマーシャル作家も顔負けの名文句が、彼の分厚い唇からもれてくるのを、通りすがりの人たちは微苦笑を浮かべて聞き流していました。まことに希有の人材というべきでしょう。いまの琉球煙草会社の上の方に、いまでもその泉はあり、近所の銭湯では、その泉の水をひいて営業しています。水道が開通するまでの那覇市民の水源地は、アンガーのほかに垣花の落平でした。
続・沖縄千一夜/徳田安週 p54、55(省略抜粋)


まず琉煙(琉球煙草株式会社)

城岳小学校あたりが丘の頂で琉煙にむかって下る地形、さらに琉煙はフチサの下あたりになります。
参考:グダグダ フチサ(フチシヤ 淵佐)

>アンガーは古波蔵の南のはずれ、俗称阿田川原にあります。
>その阿田川原のアンガ(淵下)にあるアンガーの泉の水を汲んで


とありますから丘の上の井戸ではないわけです。壺川阿田川原(アタカーバル)は赤く囲ったあたりになります。
アンガー
黒い線の範囲が字壺川、中心を二分する道の川側が赤畑原(アカバタキバル)で陸側が阿手川原(アタカーバル)です。
グダグダ 壺川


真和志民俗地図ではアンガーは青のポインタあたりになります。「続・沖縄千一夜/徳田安週」は1969(昭和44)年の発行ですのでその頃まではアンガーもあったことになりますが現在どうなっているのかは確認していません。

参考:グダグダ(β) アンガー 2

三原1丁目周辺の旧道

番地入り地図を参考に真和志民俗地図に記載されている道を描いてみました。真和志民俗地図は戦前を想定して作られています。



次に番地入り地図に書かれている道をそのまま描いてみました。昔のものなので現在とは違う道もありますが新しい道も見られますので現在への過渡期といったところでしょうか。特に壷屋郵便局後方の住宅地は全然違いますが敷地などに昔の道筋を見ることができます。


旧道はひめゆり通り(鉄道跡)ができる前からあるはずなので、バイパスを挟んで道が対応しています。

住吉海岸での密貿易

石原昌家さんの「大密貿易の時代」が改題されて「空白の沖縄社会史—戦果と密貿易の時代」となっていました。その中から住吉海岸での密貿易について抜き出します。

闇市に間近い安謝の小さな入り江(住吉海岸・現在東急ホテル北側裏手)が、密貿易品の集散所になっていることがなっていることがわかった。何席ものポンポン船が夜中に入り江に入って来たら、明け方までには海岸にヤミ物資の山が築かれる。
資力の在る「卸商」が札束を持って、船が入ってくるのを待ち受ける。船が入って来たら、リストをみて「これだけで売る」「よし!買った!」とパッと手を打ち、一人で一船分の品物を丸ごと買う。すると集荷作業が開始される。そのとき、品目ごとに仕分けされ、それぞれの山が築かれてゆく、それを品目別専門ブローカーが一山いくらで買い付ける、つづいて末端の各専門ブローカーが一山ごとに仕入れて、各地に運び出す。末端ブローカーには一山いくらで買い取る資力はないので、市場でショーユだったらショーユを売っている者同士でグループを作り、金を出し合って買い取る。
それぞれの山は、大きいので高さ3メートルくらいのピラミッド型、低いのでも2メートルくらいはある、種類は、コンブ、ミソ、ソーメン、ショーユ、カンピョウ、タクアン、アズキ、もち米、パラソル、生地などが主たるもの。たとえば、ショーユだったらキッコーマンを先頭に、ヤマサ、丸金の銘柄品。奄美大島あたりで銘柄品の樽に地元のショーユを詰め替えてにせ物も出回ったりする。タクアンなどは大樽に積み込まれて入ってきた。それらの山が30〜50個もあり、魚河岸みたいな「入札場」になっていた。
当時すでにトラックを所有している資力の在る卸商は、密貿易船が入る情報を入手すると那覇から糸満まででかけて、船一隻分の品物を押さえて、那覇まで運び込んでいた。そのころに設立した現在の卸問屋は、すべてそのような商売のしかたから出発している。すでに当時として一番大きな会社は会社部内に密貿易担当者がいて、そのための船も所有していたという証言がある。
空白の沖縄社会史—戦果と密貿易の時代/石原 昌家 p245〜247(省略と抜粋)


卸問屋の成り立ちについても触れていますが正式な民間貿易の再開までは物資は密貿易に頼るしかありませんでした。1951年頃までにできた会社のスタート当時の品物は密貿易品だったはずです。


関連:グダグダ 終戦後の安謝港

下国場・樋川

国場には戦後に移住してきた人達がいます(いました)。
下図は真和志誌の図を参考にして作成してありますが正確なものではありませんのでご注意。松尾は洗田原と勝良又原の一部、壺川は勝良又原、後原、垣新原のそれぞれ一部だと思いますが、各原の境界線がはっきりしないため道路などとの位置関係から推測してあります。

戦後は割当地と称し、松尾、壺川、壷屋等の住民が、自分の地への居住がかなわず一時的な処置として、行政側の一方的な指導のもとに勝良又原に住居を構えた。土地の境界確認もないままに住宅が立ち並び、境界の確認混乱地域になり、現在に至っている(寄宮中の裏門向かい側付近)。
国場誌 p90 
グダグダ 勝良又原(国場)

松尾壺川
このような事情からとられた特別措置が「割当土地制度」であった。これは当面の緊急の必要から住宅・農地などの個人所有地や公有地について市町村長や米軍地区隊長の権限で土地を割当てて利用させようというものである。
また土地所有者は割当を受けた人々から地代をとってはならず、立ち退きを要求してはならないとされていた。
那覇市史 資料編第3巻の1 p193(省略と編集)
グダグダ 割当地


他にも真玉橋付近に開南周辺から移住してきた人達がいます。
図は真和志市誌にあった図を参考にしました。グレーの部分が下国場、通称“樋川”です。

下国場は現在の国道を境にして国場の下方に二中前や開南、樋川から戦後移住した人々15〜55戸で、現在下国場を樋川とも称しており、元の居住地の樋川を通称したものといわれている。
那覇市史 資料編第3巻の1 p51

樋川

寄宮十字路付近の一帯には、先述した松尾や壺川だけではなく、多数の地域からの移住者がいます。また安謝では住吉町の移住者がそのまま住吉区を名乗ったりもしています。

参考:グダグダ 大原区(寄宮) (寄宮十字路近辺)
参考:グダグダ 岡野区/住吉区(安謝)

古島宇久増

承前。
グダグダ 環状2号以前
グダグダ 環状2号以前 2

真和志民俗地図を参考に戦前の古島インター付近をかいてみました。宇久増ということになります。
参考:グダグダ 古島 2

古島は大正9年に真嘉比から分離した。三つのヤードゥイから成り立つ。
•宇久増ヤードゥイ(興南高校付近の十軒)
那覇市史資料編第二巻中の7、p50


真嘉比川沿いの俗称古島小、渡比屋、宇久増の三つの小字で6、70戸位で本字真嘉比から大正9年分離独立した屋取り部落であり、明治中期まで首里の御殿、殿内の別荘のようなもの(屋取)があった。
殆どが首里から流れ落ちてきたいわゆる「廃藩のサムライ」たちの作り上げた純粋の農業部落であったが、第一世代のタンメー達は十八史略など朗々と読み上げたりで農耕は「ヒャクソー」のやるものくらいに考えていた。
ハルガン(原神)の拝所は旧真嘉比字(古島も含む)の崇敬の霊地として拝み続けられている。
那覇市史資料編第二巻中の7、p39 (省略と引用)


真和志民俗地図には「真栄城」と「普久原」の名前が書かれていますが屋取りだったんでしょうか。大正9年に独立した部落ですからそれ以前から入植は始まっていたのだと思われます。

環状2号以前 2

環状2号以前で描いた1970年頃の古島インター周辺の道を現在の地図に描き入れてみました。


現在激変中の真嘉比はもう道や集落の範囲を辿れませんね...
この図の範囲にある末吉と内間は古い形をのこしています(範囲が広がったりしてはいますが)。真嘉比もマカン道の側にある集落という形が残ってたんですが現在の区画整理で地形も道も変わってしまいました。

古い地図だと興南高校後方の道が真嘉比集落から北へ向かう唯一の道だったのがわかります(他は最初の図の左に白く描いた線路沿いの道です)。
戦前の銘苅の道筋はこんな感じです。

真嘉比の再開発で取り上げたんですが、まず土地収用で銘苅のマカン道が消え、その次に真嘉比再開発で銘苅のマカン道に繋がっていた道が消えて真嘉比部落のもともとの範囲すらわかりにくくなりました。拝所とか残してますけど部落の腰当てなどがわからなくなってしまったら半分くらい意味がないと思うんですが、どうもノリが珍獣保護とかそういうノリな気がするんですよね...

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