戦前の水売り、ウイクー三郎の様子です。
有名なウイクー三郎は、小人みたいな町の道化師でした。
「アンガー(泉の名)マーサ水」と2つのウイクになみなみと満水して、天びん棒でかついで家々軒々をまわりました。ウイクー三郎こそ水行商売の元祖です。
アンガーは古波蔵の南のはずれ、俗称阿田川原にあります。ウイクー三郎は、その阿田川原のアンガ(淵下)にあるアンガーの泉の水を汲んで「くみたての真水、マーサ水」とふれあるいたものですから、水のくさるほどある古波蔵から大声をはりあげて歩いても、だれひとり買う者はいませんでした。それでも彼はクソまじめに、炎天の下を水行商に出かけたものです。毎日々々彼の宣伝文句は違いました。
「若返りの水」になったり「精力増進の水」になったり、しまいには「アタマのよくなる水」とまでいう始末です。そのコマーシャルの才にかけては、今日のコマーシャル作家も顔負けの名文句が、彼の分厚い唇からもれてくるのを、通りすがりの人たちは微苦笑を浮かべて聞き流していました。まことに希有の人材というべきでしょう。いまの琉球煙草会社の上の方に、いまでもその泉はあり、近所の銭湯では、その泉の水をひいて営業しています。水道が開通するまでの那覇市民の水源地は、アンガーのほかに垣花の落平でした。
続・沖縄千一夜/徳田安週 p54、55(省略抜粋)まず琉煙(琉球煙草株式会社)

城岳小学校あたりが丘の頂で琉煙にむかって下る地形、さらに琉煙はフチサの下あたりになります。
参考:
グダグダ フチサ(フチシヤ 淵佐)>アンガーは古波蔵の南のはずれ、俗称阿田川原にあります。
>その阿田川原のアンガ(淵下)にあるアンガーの泉の水を汲んでとありますから丘の上の井戸ではないわけです。壺川阿田川原(アタカーバル)は赤く囲ったあたりになります。
黒い線の範囲が字壺川、中心を二分する道の川側が赤畑原(アカバタキバル)で陸側が阿手川原(アタカーバル)です。
グダグダ 壺川真和志民俗地図ではアンガーは青のポインタあたりになります。「続・沖縄千一夜/徳田安週」は1969(昭和44)年の発行ですのでその頃まではアンガーもあったことになりますが現在どうなっているのかは確認していません。
参考:
グダグダ(β) アンガー 2PR