忍者ブログ

グダグダ(β)

メンテナンス中/内容について一切保障できません
3/24アクセス解析再設置/不快に感じられる方はJavaScriptオフを推奨

MENU  ブログ内検索は左のMENUからできます

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

古島宇久増

承前。
グダグダ 環状2号以前
グダグダ 環状2号以前 2

真和志民俗地図を参考に戦前の古島インター付近をかいてみました。宇久増ということになります。
参考:グダグダ 古島 2

古島は大正9年に真嘉比から分離した。三つのヤードゥイから成り立つ。
•宇久増ヤードゥイ(興南高校付近の十軒)
那覇市史資料編第二巻中の7、p50


真嘉比川沿いの俗称古島小、渡比屋、宇久増の三つの小字で6、70戸位で本字真嘉比から大正9年分離独立した屋取り部落であり、明治中期まで首里の御殿、殿内の別荘のようなもの(屋取)があった。
殆どが首里から流れ落ちてきたいわゆる「廃藩のサムライ」たちの作り上げた純粋の農業部落であったが、第一世代のタンメー達は十八史略など朗々と読み上げたりで農耕は「ヒャクソー」のやるものくらいに考えていた。
ハルガン(原神)の拝所は旧真嘉比字(古島も含む)の崇敬の霊地として拝み続けられている。
那覇市史資料編第二巻中の7、p39 (省略と引用)


真和志民俗地図には「真栄城」と「普久原」の名前が書かれていますが屋取りだったんでしょうか。大正9年に独立した部落ですからそれ以前から入植は始まっていたのだと思われます。
PR

Comment

お名前
タイトル
E-MAIL(任意)
URL
コメント
パスワード

× CLOSE

ブログ内検索

アクセス解析

カレンダー

04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最新コメント

[08/08 なちょうらーざ]
[07/19 shimoji]
[07/19 shimoji]
[03/21 2階の店舗の娘]
[03/05 福島敏彦]

× CLOSE

Copyright © グダグダ(β) : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]