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チンナン(かたつむり)

那覇市史にチンナンについて記述がありましたので引用します。

少し変わったものではチンナン小のカミアチネーがあった。旧暦3-4月の頃になると大豆の収穫期であるが、この頃大豆畑にチンナン小(カタツムリでアフリカマイマイではない)が数多く発生する。このチンナン小をバーキ一杯にいれて具志頭の人が首里にカミアチネーに来たといいバーキ中チンナンがはいまわっていたものであるという。碗で計り、一碗3、4銭であった。サギグスイ(のぼせを治す薬)として買ったものでナーンナ(たにし)のようにおいしいものであったという。
那覇市史資料編第二巻中の7、p305


クスイムンとして食べたということですね。バーキはざるといっていいのか?カミアチネーは行商です。
普段は食べなかったにせよ恐慌時は食べる対象になってたんでしょうね。
---
追記:那覇市史の別箇所にカタツムリの項目があり普通に食べられていたとの記述がありました。クスイムンといっても日常食での滋養のあるものくらいな意味合いもありますからそのへん曖昧ではありますね。

明治・大正の頃にはカタツムリが食べられた。イーチョウバーと一緒に汁ものにすることが多かった。蛋白質の足しになったのだろう。貧しい人達の食べ物というのではなく中流以上の家でも食べられていた。
那覇市史資料編第二巻中の7、p195
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国民学校

那覇に存在した国民学校令で国民学校になった学校です。

国民学校令(こくみんがっこうれい)とはそれまでの小学校令を廃して1941年(昭和16年)3月1日に発布された勅令(昭和16年勅令第148号)である。国民学校令 - Wikipedia

敗戦後違う形で復活した学校は(閉校)をつけてありません。
 例)久茂地国民学校 - 久茂地初等学校(S26)
 例)泊国民学校 - 泊小学校(S33)

あとは那覇の解放区域が参考になるでしょうか...
参考:立ち入り制限(2)
参考:旧那覇地区の解放順序
参考:真和志南部の解放順序
参考にしたのは天久誌の学校系統図(p245)です。天久誌にはその他にも中学校系統図、戦後の那覇市立小学校系統図が掲載されています。これらの図は他の書誌からの引用、もしくは記載されているものを図にしたと思われますがまとまっているのでさすがに便利です。

•那覇
松山国民学校 (閉校)
申庚国民学校 (閉校)/ママ 甲辰国民学校と思われる
天妃国民学校
上山国民学校 (閉校)
久茂地国民学校
那覇国民学校 (閉校)
泊国民学校
垣花国民学校 (閉校)
•真和志
楚辺国民学校
真和志国民学校
大道国民学校
安里国民学校
•首里
首里第三国民学校
沖縄県師範学校付属国民学校 (閉校)
西首里第二国民学校
首里第一国民学校
•小禄
小禄一国民学校 (閉校)
小禄二国民学校 (閉校)


参考:グダグダ(β) 小学校系統図 (戦後)

クーイユ ターイユ

クーイユは鯉、ターイユはフナです。
那覇市史資料編の衣食住の項よりクスイムンのクーイユシンジを引用します。

フナは泡盛を振りかけて泥臭さを抜き、ンジャナ(苦菜)と一緒にゆっくりに出してスープを取る。熱冷ましに良いといわれた。
クーイユシンジ(鯉のスープ)昔から病人用スープとして作られた。鯉の生き血は弱い子供の発育を助けるといわれていた。

フーチバーはリューマチ、解熱に効くといわれ、現在もよく食べられている。
白いか、エビは逆上せのサギグスイに用いられた。
シブイ(冬瓜)は咳止め、利尿に効果があるとされた。
パパイヤは消化剤、催乳剤によい。
海人草は駆虫薬として終戦直後まで利用されていた。
ンジャナは腹痛に、ニンニクは風邪によく、イーチョウバー(ウイキョウ)は咳止めに良いとされた。
那覇市史資料編第二巻中の7、p195(一部編集)


クーイユシンジは鯉の煎じ薬でしょうね。
昔飲まされたことがあるのですが恐ろしく苦くてとんでもない味でした... 生きたまま水から茹でられた鯉が暴れ回り必死で蓋を押さえる婆様を憶えています(笑)。
戦前の那覇の市場でもターイユマチというのがあり売られていたようです。たしか現在でも栄町にもあったような記憶がありますが定かではありません。
那覇市史のクスイムンの項には他にイラブー、蜂の巣、青汁、カタツムリなどがあげられています。
また四つ足は薬という観点からは犬猫もヒージャーと同じようにクスイムンになります。

注意しておきたいのは現在の対症薬としての「薬」ではなく薬膳・滋養としての「クスイ-ムン」ですからそのへんをお間違いなきよう。

泊前島誌より引用します。
犬猫はヤギと同じくクスイムン扱いですが現在では愛玩動物の位置に昇格しています(笑)。現在でも行われるクスイムンとしての食事はヒージャーとかターイユとかが残ってるだけでしょうか。

ガーブーでは時折自家飼育のヤギの密殺が行われたが警官は知らん顔だった。長い葬儀の行列と洗骨の風習、近くのフェーライ山は猫の死骸捨て場で首をくくられた猫の死骸が幾つも松の小枝につり下げられ山風の吹くままに揺れ動いていた。
泊前島誌 p368

道筋の切断



トンネル周辺の続きです。
先日新しいトンネルを通りました。新しい通りはトンネルを通過してから新川の子供センター付近まで側から入ってくる道路もほとんどないような高速道路のような感じでした。
便利になったと思うんですが、この道路によってピンクで示した道路が分断されてしまいました。交通量が多いわけでもない抜け道のような道だったわけですから付近の住民の皆さんは生活道路に戻ってほっとしていると思います。

この分断された道は結構古い道筋だったようなのですが、現在以降にこの道筋を考える時には過去の地図を見るか道筋をみて想像するかしないと過去の姿がわからなくなりました。つまり現在自分がやっているように、バイパス道路や区画整理を考慮して過去の姿を考えるという必要性が発生したわけです。
まぁそんなニーズは全くないでしょうけども(笑)。

椰子と南洋杉

たまには人から聞いたヨタ話を...

庭木にも流行り廃りがあります。
果樹が流行って結構植えられたけど実がならないので伐採されてしまったとか、黒木を植えるのが新築のステータスだったとか。果樹は結構肥料やらなんやらシビアで難しいらしいです。
あと蘭の温室作ってる方も昔は結構目にしました。

本題ですが昭和の中期頃ヤシの木を植えるのが流行ったらしいです。
街路樹に使われる椰子ならともかく、巨大化する椰子をあまり丈が大きくない時期に植えた人がけっこういて、家の丈を遥かに超えるくらいに育った椰子が昭和の那覇の風景写真には散見されます。
うちの近所にもアパートの4階くらいの椰子があって、台風が過ぎるとでっかい葉が周囲に落ちてたもんです(笑)。平成に入った頃にはほとんどみな伐採されました。

それと南洋杉。
これも普通の丈なら手がかからなくていい樹なんですが、巨大化します(笑)。那覇市内には素人では手が付けられなくなった大きさの南洋杉が散見されます。
ガジュマルやら赤木はどうにかよじ上って枝を落とすことができるような樹形をしていて素人でもどうにかなるのですが、椰子や南洋杉はまっすぐ伸びてゆくだけです。住宅街に三・四階建ての高さの樹があるとさすがに怖いですよ。台風も結構くる地域だし...
オチはない話なんですが植木屋も考えて売れよと(笑)。

沖縄は広葉樹が多いので横に太ってゆく大木はありますが高さがある大木は珍しいですからね。首里の大アカギも内地の大木からしたらそれほどの大きさではないでしょう。
まぁ戦争で丸裸になったってのはありますがいまだに街路樹も少ないし意外と緑は少ない島ではあります。

大島系

下記論文から大島系の商人のことについて抜き書きしておきます。
このあとには宮古系の商人の出世とその後の身の振り方として若狭などでのホテル経営のことにも触れられています。

那覇市商業の形成過程 : 那覇市国際通りを中心に
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000979279
昨年は奄美復帰50年(1953年本土復帰)を迎えたが、初期の頃は、奄美大島系の商人が多く、例えば琉球繊維、児玉繊維、天城屋(紳士服専門)、川畑衣料、荒垣商会(化粧品販売)等は、卸・小売商として界隈の業界を牛耳っていた。大島系商人の台頭は鹿児島から大島経由の闇ルートと密接な取引関係があったからであろう。糸満系商人は漁船を使用した台湾から与那国・石垣経由の闇ルートで商機を掴んだ者が多かったようだ。


そのほかむつみ橋の大洋堂とかも奄美系の人ですね。

道幅

「運輸交通」 置県後に於ける道路改修の先駆をなすものは明治十七年首里那覇間の公道の鋪石を撤去して砂利を敷き十九年那覇与那原街道を改修したくらいのものであった。 昔の那覇の幅員は大通りが三間、脇道は一間無いし二間、小路(すうじ)と言えば四尺程度に過ぎなかったが、明治四十二年県政が施行さられるに及んで俄然として活気を呈し那覇を起点とする県道として名護線、首里線、糸満線、与那原線、普天間線、波の上線が拡張改修された。(泊と連結する汐渡橋も明治四十二年に出来た。)
那覇今昔の焦点 -那覇の今と昔を語る-(文教出版社 S46初版 p96)


1間=6尺=1.82m、1尺=30.3cmだから大通りが5.5メートル幅、脇道が2メートル弱から3.6メートル、小路が1.2メートルくらいか。

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