下記論文から大島系の商人のことについて抜き書きしておきます。
このあとには宮古系の商人の出世とその後の身の振り方として若狭などでのホテル経営のことにも触れられています。
那覇市商業の形成過程 : 那覇市国際通りを中心に
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000979279
昨年は奄美復帰50年(1953年本土復帰)を迎えたが、初期の頃は、奄美大島系の商人が多く、例えば琉球繊維、児玉繊維、天城屋(紳士服専門)、川畑衣料、荒垣商会(化粧品販売)等は、卸・小売商として界隈の業界を牛耳っていた。大島系商人の台頭は鹿児島から大島経由の闇ルートと密接な取引関係があったからであろう。糸満系商人は漁船を使用した台湾から与那国・石垣経由の闇ルートで商機を掴んだ者が多かったようだ。そのほかむつみ橋の大洋堂とかも奄美系の人ですね。
PR