那覇市史にチンナンについて記述がありましたので引用します。
少し変わったものではチンナン小のカミアチネーがあった。旧暦3-4月の頃になると大豆の収穫期であるが、この頃大豆畑にチンナン小(カタツムリでアフリカマイマイではない)が数多く発生する。このチンナン小をバーキ一杯にいれて具志頭の人が首里にカミアチネーに来たといいバーキ中チンナンがはいまわっていたものであるという。碗で計り、一碗3、4銭であった。サギグスイ(のぼせを治す薬)として買ったものでナーンナ(たにし)のようにおいしいものであったという。
那覇市史資料編第二巻中の7、p305クスイムンとして食べたということですね。バーキはざるといっていいのか?カミアチネーは行商です。
普段は食べなかったにせよ恐慌時は食べる対象になってたんでしょうね。
---
追記:那覇市史の別箇所にカタツムリの項目があり普通に食べられていたとの記述がありました。クスイムンといっても日常食での滋養のあるものくらいな意味合いもありますからそのへん曖昧ではありますね。
明治・大正の頃にはカタツムリが食べられた。イーチョウバーと一緒に汁ものにすることが多かった。蛋白質の足しになったのだろう。貧しい人達の食べ物というのではなく中流以上の家でも食べられていた。
那覇市史資料編第二巻中の7、p195PR