「運輸交通」 置県後に於ける道路改修の先駆をなすものは明治十七年首里那覇間の公道の鋪石を撤去して砂利を敷き十九年那覇与那原街道を改修したくらいのものであった。 昔の那覇の幅員は大通りが三間、脇道は一間無いし二間、小路(すうじ)と言えば四尺程度に過ぎなかったが、明治四十二年県政が施行さられるに及んで俄然として活気を呈し那覇を起点とする県道として名護線、首里線、糸満線、与那原線、普天間線、波の上線が拡張改修された。(泊と連結する汐渡橋も明治四十二年に出来た。)
那覇今昔の焦点 -那覇の今と昔を語る-(文教出版社 S46初版 p96)
1間=6尺=1.82m、1尺=30.3cmだから大通りが5.5メートル幅、脇道が2メートル弱から3.6メートル、小路が1.2メートルくらいか。
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