忍者ブログ

グダグダ(β)

メンテナンス中/内容について一切保障できません
3/24アクセス解析再設置/不快に感じられる方はJavaScriptオフを推奨

MENU  ブログ内検索は左のMENUからできます

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

むつみ橋・山形屋間店舗名(69年)

69年発行の「新しい沖縄/沖縄グラビア」という観光向け?冊子から。
通りの図に店舗名が書かれているのですが、下で太字になっているものは店舗名の頭に黒丸(●)がついているものです(その他は白丸/○)。
黒丸は観光向け(あるいはガイドブックと連携とか)ではないかと思うのですがよくわかりません。

みねい時計店/大洋堂時計店/中央相互支店/金城歯科医院/来々軒/安田ラジオ電器商会/大丸宝石クロコデルストア/大和会館/フランシス/みつば/スタイル靴店/国際ホテル/琉宝堂/古堅兄弟装飾部/やなぎ歯科大湾洋服店/中央洋品店/紅屋東亜ジュリー[ジュエリー?/ママ]/角萬漆器/進清堂/中田屋/植田カメラ店/金城時計店/富士屋靴店/たまや呉服店山形屋大見屋ぺりかん堂

ゼンリン地図69年版との違い。
•来々軒/安田ラジオ電器商会の間に森山商会
•みつば/スタイル靴店の間に「ブロンド/白鳥」
•古堅兄弟装飾部は「古堅兄弟室内装飾部」
•大湾洋服店は同じ建物に「那覇音響機器、東芝オートボーンKK、琉球映画教会」がある
•東亜ジュリーはゼンリンでもそのまま東亜ジュリーとなっている
•角萬漆器の後方か2階に「沖縄ハム」
•進清堂/中田屋/植田カメラ店(植田カメラ商会)の中田屋は「琉球カスリネクタイ本部」になっている
•富士屋靴店は「富士屋」

ゼンリン地図69年版での角部分。
1は図の左から「クロコデールストア/大丸宝石/安田ラジオ電器商会」、2は「森山商会」、3は「来来軒」、4は個人宅、5は「睦」、5は角から沖映向けに「みねい時計店/玉屋貴金属店/はなや/クラウン」、7はむつみ橋から山形屋向けに「大洋堂/中央相互銀行/六本木/モカ」、8は「金城歯科」。7は同じ建物のテナントなのかもしれません。

建物に相対している店舗名(むつみ橋から山形屋向け)。
aは「並里百貨店/喫茶いずみ」、bは「いずみ写真館/とうま洋服店/だいわ靴店/アンデス商会」、cは「富士写真商会/ラテンコーター/ポーラビューティサロン/山本茶舗/好美/古雅堂/中央時計店」。
これらは並んでいたわけではなくテナントであったものも含まれると思うのですがとりあえず記録しておきます。例えばクロコデールストアの向いは「古雅堂/中央時計店」といった関係性は読み取れるのではないかと。

反対側。
かどや食堂/むつみ堂時計店/なみざと百貨店/いづみ写真館/とおま洋装店/だいわ靴店/アンデス商会/富士写真商会/ポーラ ビュティサロ[ママ]/山本茶舗/琉球料理三好/古雅堂印房/中央時計店/まるとも洋品店/アニヤ眼鏡店/のざき洋装店/呉ラジオ店/ちねんふとん店/前田宝石幸地時計店/カステラの長崎本舗/にしきや/みなみ屋/むつみ写真館/玉宮/国際時計店/ベルモード/まるみや/丸忠御土産品店/松坂屋

ゼンリン地図69年版との違い。

•なみざと(なみさと)百貨店/いづみ(いずみ)写真館の間に「喫茶いずみ」
•富士写真商会/ポーラビューティサロ(ン)の間に「ラテンコーター」
•山本茶舗/琉球料理三好の間に「好美」
•アニヤ眼鏡店/のざき洋装店の間に「ミンク」
•ちねんふとん店/前田宝石の間に「神田呉服店」
•にしきや/みなみ屋の間に「沖縄おみやげ店」
•玉宮は「玉宮モードコーナー」
•丸忠御土産品店は「丸忠」
PR

世界館通り(52年)

沖縄主要地主要商工年鑑(1952)の第三、四図の世界館通りです。一部は世界館周辺(52年)で以前取り上げてあります。
図中英字で分けてありますがこれは自分が追加したものです。

この範囲はよくわからないところがあります。1の側だと店舗が連続しておらず空白があることで、この空白でわけられたブロックを英字で区切ってあります。この空白は向い側の2も同じです。
世界館周辺の道もよくわかりません(世界館周辺(52年)で説明してあります)。
注意して欲しいのは、上右図での説明はすべて根拠が乏しく現実と対応していない可能性が高いということです。たとえば図中の「ハリウッド」への道は元山形屋向いかと考えられます。しかし上左図中では突き当たりにあると解釈できますがこの道は戦前から変わりませんので、上左図での道と解釈するには少し無理があるように思えます。
※この区間は国際通りの幅員拡張(54年竣工)のときに直線化もされたようですので、52年の図をそのまま適応するには無理があることを了解しておいて下さい

とりあえず店舗名。
1はガーブ橋(むつみ橋)から世界館方向へ。
a球美薬局(角)、沖縄バスガーブ橋営業所(*1)、国際興信所、いづみ写真館、大洋食堂、平田商店(茶)。すこし間隔があり儀武息茂弁護士事務所、東京大城組沖縄連絡所土建、新生蚕業沖縄事務所、美好旅館、国吉薬店、金城看板店(黒板 看板塗装業)、仲本理髪店
b司法書士金城威昌事務所、昭陽理髪館、看板アート社、ふみのや食堂、印版彫刻 金城棟柏、前田めがね専門店、潮タクシー、御宿白菊、食堂レインホ、ハリウッドへゆく道をこえてゴールデンゲイト
c寿屋食堂、世界館、那覇鋳物会社、松尾派出所(角)
2も上から下へ。
ガーブ橋そばに●丸善家具店(●は○に善)、銘苅商店(菓物食料品)、間隔があって高江洲ミシン専門店、日用雑貨山本商店、丸金自転車店、香蘭食堂、二葉自転車商会、上田商会、山城時計店、双葉タイプ練習所、みつわ時計店、輸入新聞管理所、池宮商会(*2)、崎浜銅工所、丸弘自転車商会、石川廣威堂、美昌堂(印版)、安元商店(食料雑貨)、池宮商店
※1:「沖縄バス ガーブ橋営業所 与那原佐敷知念方面」、※2米製煙草ヨークタウン 食料品雑貨輸入商

おまけ。米軍空撮と那覇民俗地図。


参考:グダグダ(β) 寿屋食堂・ハリウッド (56年の寿屋の写真)

牧志中央通り(52年)

沖縄主要地主要商工年鑑(52年)での牧志中央通り(第十五図)。右図はその範囲を示したもので、図中の店舗等はゼンリン地図69年版から。

1は国際通りから前島向け。
わかば美粧院(角)、嘉数商店、グリンホート写真館、相互自動車株式会社、なかち食堂、すたいる理髪館、道をこえて上原商店、丸昇商行(洋品雑貨)、道をこえてやまき商会、宮城商店、東恩名タタミ工場、先島館、東和理容館、茶甚商会、比嘉自転車店、金城製靴修理所。温泉マークは湯屋と書かれています。
そのほか今村高等洋服店(f)、翠明館(g)

2も国際通りから前島方向へ。
牧志派出所(角)、屋良商店、○那嶺商店、みなとや食堂、白ばら食堂、奥原菓子店、村田金物店(角)、1ブロックこえて兼城雑貨店、我那覇金物店、青年会館(角)、道をこえて久高家具店、嘉数商店、三和オフセット印刷所、沖縄石灰工業所(角)
崇元寺から沖映通りに抜ける道(十貫瀬)は「牧志通」と書かれています。上左図中で牧志通りにある温泉マークは牧志湯、そのとなりは那覇鉄工所(a)となっています。そのほか外間医院(b)、英文堂印刷所(c)、高良洗濯屋(d)、入船旅館(e)

上右図に書いてある店舗名はゼンリン地図69年版にあるもので、上左図の入船旅館と右図のホテル入船が同じ店舗で同じ敷地であったのかはわかりません。
また上左図での青年会館は上右図での「第五区青年会館」と同じ敷地ですが、これは牧志部落の所有物なんでしょう。

国際大通り(52年)

沖縄主要地主要商工年鑑(52年)での国際大通り(第六図)。

店舗名。
1はガーブ橋(むつみ橋)から安里方向(上)へ。
石垣自転車店(角)、昌栄堂印房、平敷染物店、すこし離れて上原靴店、台湾光隆有限公司、協和商会、上原靴修理所、昌栄堂時計店、喜納商店、西平商店(角)。平和通り(市場通り)をこえて友寄商店(角)、鉢嶺時計店、球陽堂書房、協和バス国際通営業所、国際劇場、井筒屋食堂(角)、道をこえて新開理髪館(角)レディ美粧院、三力食堂、いは製靴店、松本商店、永田屋、ひばり美粧院、沖縄バス
緑色で示した箇所は、オリオン興行(10)、国頭林産(11)、国頭林産の隣りが東洋写真館、向いが琉球新聞社

2もガーブ橋から安里向け。
上原無線、豊田旅館、LIBERTYHOUSE、道をこえてサクラバス本社(6/角)、仲井間自転車商会、新星堂書房、新里商店、大宝館、バスのりば(7)、「雑貨店街・久高材木店(8)」、牧志派出所(角)。道をこえてわかば美粧院(角)、三光ラジオ相談所、真喜志商店、自声堂時計店、銀バス(9)
7は「バスのりば ナゴ、天願、ヤケナ、コザ、石川」となっていて、後には歯科材料竹富商店、土建大城組があります。
そのほか稲福医院(1)、渡嘉敷医院(2)、ギボ旅館(3)、北斗館(4)、沖縄製瓦株式会社(5)。書き込み忘れたんですが5と6の中間に丸幸冷凍所

LIBERTYHOUSEは琉球貿易(現りうぼう)がやっていた店だと思われます。1951年の沖縄商工名鑑から引用します。
琉球貿易商事
取締役社長 宮里辰雄
輸出入貿易島内販売運輸
本社 那覇市崇元寺通り
支店 八重山・石垣市
琉貿直営外人向けお土産品販売
リバーティハウス
那覇市国際大通り


リバティハウスやさくらバス周辺の写真も残っています。

那覇まちのたね通信 | 那覇(国際通り)/国際通り リバティイハウス/1951年
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1741


那覇まちのたね通信 | 那覇(国際通り)/国際通り さくらバス待合所付近/国際通り さくらバス待合所(現在の三越)付近
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1740

松尾大通り(52年)

沖縄主要地主要商工年鑑(52年)での松尾大通(第二図)。左は元図から南北(上下)を逆転させてあります。

店舗名。
1は国際通りから那覇高向け。
みやぎ自転車支店(角)、万辨舎、少し離れてさかえ理髪館、上村歯科院、松尾旅館、大田製紙店、玉川屋(角)、道をこえて山田タタミ(角)、渡嘉敷タタミ、非鉄金属共同集荷事務所、消防隊、琉台貿易、丸高鉄工所、丸入自転車店(丸八?)、喜久屋ホテル、丸善木工所(角)
2も同方向へ。
国際通り角に南部税務署、その後に天賞堂時計店、レストラン松屋本店(角)、道をこえて謝花商店、宮城高等洋服店、道をこえてきくや、道をこえて儀間本店、喜代家旅館、道をこえて金城商店。那覇高校をこえて末広食堂
そのほか小渡ふとん店(1)、冨士弁護士事務所(2)、沖縄時計商事株式会社(3)、善興堂医院(4)、玉吉理髪館(5)、末広旅館(6)、みやぎ旅館(7)、港ホテル(8)

まだ松尾消防署が国際通り側に移転していません。
上右図中で破線にしてある道は那覇高校のすぐ後の道なのかもうひとつ後なのかいまいちはっきりせず、戦前相当の真和志民俗地図では道はありませんのでよくわかりません。
大和人墓地跡は「那覇市旧跡・歴史的地名地図」を参照しました。

寄宮十字路(52年)

沖縄主要地主要商工年鑑(52年)での寄宮十字路一帯(第四十一図)です。左は元図を参考に作成してありますが上下(南北)を反転させてあります。

元図は現実の道とは違っていて迷うのですが、位置の変化していない真和志小学校(a)や真和志支所(当時村役場/b)があることで特定できています。
店舗名。

1上から下へ(北から南へ)。
交差点角に冨士食堂(角)、道をこえて末広食堂、寄宮旅館
村役場そばは大楽亭(a)、真和志診療所(b)、新月亭(c)です。
2も上から下へ。
安村理髪館(角)、新崎家具製作所、寄宮十字路をこえて材木店、みやぎ自転車店、真寿美食堂(角)、脇道奥に太陽工業社、表通りに戻ってアサヒセメント瓦ブロック
3は図の左から右へ。
現在はスーパーになっている沖運第一修理工場、道向いにひかり印刷所、現大原通りにうつって大原湯、比嘉興文堂(矢印)、ヘントナ製作所
4も左から右へ(与儀から上間向け)
長山商会、その向かいに奥原ガラス工業所(矢印)、寄宮湯(角)、脇道奥に岡野鋳物工場、戻ってゑびす屋旅館、寄宮十字路をこえてトナキ兄弟鉄工所、向いに青蘭社ゴム工業所

寄宮十字路一帯は元の居住地に戻れなかった人達が移住してきているので、この当時から住宅街だったのではないでしょうか。

参考:グダグダ(β) 大原区(寄宮)
参考:グダグダ(β) 戦前の寄宮
参考:グダグダ(β) 戦後すぐの寄宮
参考:グダグダ(β) 真和志小学校周辺
参考:グダグダ(β) 民政府住宅付近 (図中の群府職員住宅/群島政府)
参考:群島 (沖縄) - Wikipedia

試験場通り(52年)

沖縄主要地主要商工年鑑(52年)から試験場通り。左図は元図を模写したものですが南北が逆転していて、最下段の水平線が与儀十字路、最上段が古波蔵交差点になっています。
古波蔵交差点が当時どこを通っていたのかはよくわかりません。線路跡は茶色で示した道の内側を通る道になっています。

店舗名。
1は与儀十字路から古波蔵向けへ(左図では下から上へ、右図では右上から左下へ)。
正輪自転車店、大進商会ヨギ支店、1ブロックこえてヨギ材木店(角)、上田材木店、赤嶺木工加工所、仲島セメント工業所(角)、道をこえて沖縄板金加工株式会社(角)、真境名商店、津嘉山商会(角)、道をこえてはいから湯、七星自動車工業所、ナハトラック修理工場、コハツ電気工業所
aは●木工所(●は○に二)、bは●工務所(●は○に二)、cは大丸製材所、dは寿旅館。
2も与儀十字路から古波蔵向け。
与儀十字路角には南港食堂(e/角)、道をこえて「農業改良局(元農試)」、道をこえて現与儀小学校の楚辺校。 道をこえて丸金食堂(角)、南島自動車修理工場(角)、道をこえて金城自動車工場(角)、大○自動車修理工場、石原商店、ときわ材木店、虎自動車修理工場、瀬長鉄工所、岩崎商会、沖縄自動車会社(角)
3は古波蔵交差点から那覇向け(左図では左から右へ、右図では中央下から左上へ)。
琉球金物株式会社、●鉄工所(●はヿに秀)、球陽商事株式会社、道をこえて具志商店(角)、その後に港湯、表通りに戻って銀波食堂(f/角)、その後に三井食堂。道の反対側に沖縄ランドリイ、その向いにガナハ材木店、国場組、沖縄鉄工所

この範囲は材木店や木工関係、自動車関係と鉄工所が集中しているようです。壺川は復帰後まで工業地帯でしたし与儀は少し前まで材木店がいくつかあったように憶えています。
この特定業種の集中は行政の誘導によるものなのか立地的条件によるものなのかはよくわかりません。戦前相当の真和志民俗地図を見ると与儀や古波蔵の部落以外は集落がありませんから、この範囲の住居や工場はほとんど戦後のものです。

大道通り(52年)

沖縄主要地主要商工年鑑(52年)から大道通り(第四十三図)、右はその範囲を示したもの。左図は元図を上下反転(南北方向)してあります。

店舗名。
1は左の安里交差点から右の首里坂下方向へ。
水仙アイスケーキ、大道洋裁店、大黒屋支店、すこし離れてO.K理髪館、bの位置に金城カンパニー、道の奥に沖縄ホテル(a)、表通りに戻って宇久木工所、オール理髪館、高嶺理髪軒、町田製麺工場、みなみ自動車修理工場、神村酒造工場(角)
2も1と同方向。
木下醤油、道をこえてみどりや自転車店(c)、湯屋、少し離れて安里木工所坂下工場、金城薬店
3は図の上から下へ。
大道橋そばの道奥に度量衡検定所、表通り沿いにペンターヤシロ、真和志木工所、金城商店、大倉組事務所、恵光理髪館松川営業所(角)、道奥に松川木工所(d)、表通りに戻って合資会社光電舎、三原製材所、旭第一工場セメント瓦ブロックe琉球大学ナハエキステンション
4も図の上から下へ。
菊水木工所、大道湯、稲福木工所、道を曲がって伊野波組、旭第二工場

52年頃は那覇周辺部(真和志)は木工場やセメント関係の工場が多いですね。

× CLOSE

ブログ内検索

アクセス解析

カレンダー

04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最新コメント

[08/08 なちょうらーざ]
[07/19 shimoji]
[07/19 shimoji]
[03/21 2階の店舗の娘]
[03/05 福島敏彦]

× CLOSE

Copyright © グダグダ(β) : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]