沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第四十五図を参考にしますが、この区画は少しめんどくさくて図と現在の区画が完全に対応していません。
今回の範囲は右図でのbの区域です。


とりあえず店舗名から。
玉家亭(a)、一楽亭(b)、よかろう亭(c)、球陽工業所(d)、再起屋(e)。
十八番亭(f)、湧川商会(g)、AJ美粧院(h|オレンジ)、鳴海旅館(i)、水産会館(j)、名城商店(k)。図の左側のオレンジ色の箇所はゼンリン69年版ではAL美容院となっていますがこれは誤植ではないかと思われます(地図内の文字は手書きですけども)。
この区画の南側は前に取り上げたんですが(
参考)栄町ロータリーの角は浜千鳥旅館になっています。めんどくさいのはそのとき参考にしたのは四十四図、今回の範囲は四十五図で、連続する一帯にも関わらず縮尺が違ったり道が省略されていたりするんですよ...
今回の四十五図では栄町ロータリーを挟んで湧川商会と浜千鳥旅館は向かい合っており、十八番亭と湧川商会の間には道はありません。なんですが四十四図では間に道があることになっています。図を見て考えてみると湧川・十八番間に細い路地があったんだろうなと推測します。
このブロックから一つ北側の鳴海旅館があるブロックはおそらく当時と変わっていません。
そのもう一つ北側のブロックは沖縄主要地主要商工年鑑では一つのブロックになっていますが、ゼンリン地図69年版では2つにわかれていて現在と同じ区画です。おそらくこのブロックの北側の道は後年造られたものではないかと思われます。このあたりを安里・大道間の境界線(
赤)が走っています。
今回の推測はかなり不確かな部分が多くて参考にするにはかなり怪しいかと思います...
【追記】沖縄主要地主要商工年鑑の51年版での区画を描いてみます。


色分けは右図に準じていて、51年頃相当の左図も最初にあげた52年版と区画は変わらないことがわかります。また店舗名などもあまり変化がありません。