戦後最初の繁華街であった神里原大通り(50年代初期)です。

通りの範囲は沖縄主要地主要商工年鑑(1952)の第三十一〜三十三図を参考にしています。丸国マーケット(
青)から大洋劇場前(
ピンク)を通り330号線に至る区間です。
紫ポインタは開南会館、赤は農連市場です。

沖縄主要地主要商工年鑑は独特の省略のしかたがされていて読みにくいのですが神里原は特に読みにくいです。
上図は三十一図から三十三図の三つの図をつないで描いたものですが、最初の図でわかるようなカーブが一切ありません。これをどうやって解読するのかということになるんですが、図中に存在し後年の地図で位置が特定できる箇所(例:大洋劇場)や他の道との関連性を考えて推定します。故に推定が間違っていたら狂います。そのへんご了承頂きたく。
図は下側が丸国、上が330号になります。
最初の図で黒く描いた開南会館と農連の間の道は50年代にはありません。ゼンリン地図69年版でも未だ開通しておらず、予定地として白くなってます。
仮にこの道を開南農連バイパスと呼びます。

国土交通省の77年撮影の写真を自分が加工しました。
開南農連バイパスは開南会館(紫)から途中までは通っていますが、大洋劇場(ピンク)からは開通していません。最初に開南側から工事が行われたのがわかります。またゼンリン69年版では大洋劇場(与儀3-778)の敷地は四角いのですがバイパス工事の為に角が一つ削られています。この削られたであろう箇所をピンクの線で書入れました。
大洋劇場後方あたりが50年代当時どうなっていたのかがさっぱりわからないまま作業をします...
※
58年の地図がありました写真掲載元:
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=COK-77-1&PCN=C58&IDX=7&PNO=1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19