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栄町前史 1

沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第四十四、四十五図をもとに52年頃の栄町を見ていきますが。今回は前史と概略的なものをさらっと。

戦前の様子は左図のような感じで、安里駅跡(A)、一高女・女師跡(B)、陸軍墓地跡(C)、沖縄県血清製造所跡(D)です(参照:那覇市旧跡・歴史的地名地図)。右写真は45年の米軍撮影写真(ノイズが多いです)
参考:グダグダ(β) 安里交差点(戦前)
参考:グダグダ(β) 安里駅 2(一高女)
参考:グダグダ(β) 一高女

戦前の写真でもほぼ何もありません。
以前書いた栄町関係から。

米軍のゴミ置き場だったのを49年4月末に開放されたので、区画し真和志の商業地域にしようと翁長[助静]村長は尽力した。50年2月に栄町公設市場を開設。トタンぶきで72室あるが、6月に数店を数える程度。市場の東側は料亭街となり、12月までには四つ竹・よかろう・八千代・だるま亭・一楽など20軒が建ち、宴会は引きも切らず、三線太鼓の音が外に流れた。同年1月11日に再建された沖縄劇場で大伸座がふた明けした。この年、料亭街の東角に沖縄婦連会館が建った。
グダグダ(β) 栄町の出現

栄町

真和志市長だった翁長助静さんの話。
[翁長助静]今だからいいますが、一高女のあとですね。あそこに琉大をつくるつもりで、2万坪ほど確保して文教学校も、外語も。真和志、大道小学校を付属にしようと、山城篤男さんなんかに相談したが、今の琉大の位置がいいということになりましてね。
[徳田安周]一高女のあと、今は栄町で歓楽街になっていますが最初からそのおつもりでしたか(笑)。
[翁長]いいえ。実はその件で、ひめゆり同窓会の新嘉喜貴美さんや千原繁子さんらから吊るしあげられましてね(笑)。ひめゆり同窓生の夢の跡に歓楽街をつくるとはなにごとだ(笑)というわけなんですよ。
グダグダ(β) 那覇はどう変わったか(63年)


1958(昭和33)年頃のようす。
栄町歓楽街は桜坂より安直に遊べる場所。居酒屋やバーの代金は安い。キャバレーは見当たらず、売春まがいの小料理屋が多い。女給が飲食その他を接待する。当初は旅館だったが、52、3年から売春宿になった旅館も多い。このため栄町内にある婦連や大道小・真和志中の先生方を嘆かせている。
グダグダ(β) 荒れる繁華街
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旭通り(52年)

左図は沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第三十五図から、右図は左図をグーグルマップに描き入れたもの。左図は下が北になっています。
真ん中の縦線が旭通りで、過去に取り上げたことがあります。
参考:グダグダ(β) 信興商事(旭通り)丸国周辺


1は図の下から上に向って。
上原商店、ミツワ洋裁店、やまこ商会、沖縄商会本店(角)、道をこえて富原薬店
2も下方向から。
那覇食堂、大和商会、古池商会、道をこえてマネキン美粧院(角)、一軒おいてキクヤ食堂、道をこえて前里商店

左図の中央(真ん中)の水平線は神里原大通り。
参考:グダグダ(β) 神里原大通り(52年) 2
左図の下段の水平線や三共バスについては下記記事を。
参考:グダグダ(β) 市場通り(52年) 2

Remembering Okinawaの写真。左図の中心にある神里原大通りと旭通りの交差点で、右の店が富原商店、左は「容院」と「キン」が読み取れますので「マネキン美粧院(美容院)」ではないかと思われます。
右は左写真中の横断幕を反転させたものと看板のクローズアップです。

Mosher Reid Photos - Okinawa History Page 2 of 4
http://www.rememberingokinawa.com/page/mosher_reid_2

神里原大通り(52年) 4

神里原大通り(52年) 3の続きで大洋劇場から330号線までの区間です。左図は沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第三十三図から、右図は左図の道などを現在の地図に書き入れたもの。
戦前の神里原は畑や湿地だったということですが、右上の赤い線で示した道のそばまでは家があったようです。

右図で黒い点をつけた箇所は、52年の図のうちゼンリン地図69年版でも確認できた店舗です。左図では小さく黒い印をつけてあります。右図で黒く囲った箇所は「大洋劇場」で、左図はここを少し過ぎた当たりにあった丸金デパートからが図の範囲になっています。

1は図の下方から(神里原から330号線に向けて)。
丸金デパート(a)、山川商店、島袋商店(*)、二見屋商店(*)、古波津商店。すこし奥に長崎屋、美松食堂、表通りに戻って新菊食堂、上海食堂、吉田薬局、すこし間があいてリリー美容室、喜納理髪館、南部タクシー、南部工務出張所、ニューライン、まぶに商店、沖縄印刷所(*)、はやり理髪館(*)
2も同方向に。
文教堂、照屋商店、辺戸名商店、東京屋、幸地薬店、花城商店、山形屋(角/b)。脇道を入って左手に大福亭、吉美旅館(*)。表通りに戻って丸真食堂、中屋貿易商事、大久保タタミ店(*)、食堂ほまれ(角)。脇道の奥には国吉ホテル(c)
表通りに戻って脇道角に比嘉木材店、ひふみ理髪館(d)、宵待旅館(330号角)

吉美旅館は山形屋の角を入って奥にあることになっているんですが、ゼンリン地図69年版ではそのあたりに「吉美」と書かれた箇所があります。ちなみに「吉美」の後方は「若松湯」となっています。

【注】図の下側部分の2神里原大通り(52年) 2での図の2に繋がっています。
沖縄主要地主要商工年鑑(52年)での図の関連性は左図。中央の図での最上部が右図の最下部に接続するようになっています。中央と右図は左図のようにもともと3つに分けられていた図の範囲を2つの図にしたものです。

だいたいの図は図の間に共通する店舗が入るようになっていて、図がどう関連しているのかわかるのですが、この2つの図の間には共通する店舗がありません(正確には丸金デパートだけ)。こまったことに丸金デパート向いの店舗がどうなっているのかも異なっています。
ですので少なくともこの図の丸金デパート周辺に関してはきっちり正確なものではないと思われます。

神里原大通り(52年) 3

神里原大通り(52年) 2の続きで周辺部です。


1の丸国マーケット横。
丸国側から銀座マート 金物部(角)、南星貿易商事会社、丸善商会、まんしう食堂、ちとき旅館、菓物市場、うさぎや
この通りは「○物市場通」と書かれています。不明文字は「果」か?
道路の向こう側のa白梅堂b比嘉金物店

c沖縄動物園d小松旅館e友鶴旅館
小さい数字の店舗名。○南産業(1)、食堂シスター(2)、食堂さかえ(3)、食堂いづもや(4)
左上の5軒並んだ店舗前の道は「食堂小路」、下から三角屋、だるま、みつわ、音丸、桃源、石川屋
三角屋の下には御宿浦島がありますが書いていません。三角屋角の道路はとりあえず書いてありますがよくわからないのです...

神里原大通り(52年) 2

神里原大通り(52年)の続きです。

沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第三十一〜三十三図が神里原大通りになっています。右が3つの図をつなげたもので左は今回説明する丸国マーケットから大洋劇場の区間です。
縦に通っている道路が現実ではカーブしている神里原大通り、最下段の水平線が新栄通り、下から4番目の水平線がバス道路になります。
参考:グダグダ(β) バス道路[神里原] (52年) 2

グーグルマップ上に描いてみるたのが下左図。バス道路から大洋劇場近くまでの脇道はさっぱりわかりませんので描いてありません。
下右図は最初の図と同じもの。

1は丸国マーケット側から。
名称無し(角)、仲本旅館(角)、道をこえて喜屋武商店(角)、太陽堂、富原商店(角)、道をこえてマネキン美容院(角)、中央時計店、○儀商店(角)
バス道路をこえて知名商店(角)、宮良商店、信用堂、山州商会、照屋商店、糸満屋、ノーブル洋裁店、上江洲商店、上原商店、神里バザー、比嘉商店、七光貿易商事株式会社、照屋商店、東京茶房
道をこえて大衆食堂よろず(角)、ひかり食堂本店、田村金物百貨店、金城楽器店、玉 高等洋服店、テイラーまつ屋、高美商店、博賢書店、冨士美・美人閣入口、池原商店、古波津ふとん店(角)、道をこえて大衆食堂宮良(角)、琉球船用品会社直売店、沖縄文書合資会社、那覇時計舎、生盛堂時計店、喫茶店コロナ(角)

2も同じく丸国マーケット側から。
新栄通り沿いにポインタで示した丸国マーケットがあります。道をこえて銀座マートがありますがここは範囲が示されていません。その隣りが玉那覇商店
道をこえて金城商店(角)、竹田商店那覇支店、ローズ写真館、ローズ美容院(角)
バス道路をこえて中田商店(角)、バザールカデナ、大きい区画で小禄貿易商事株式会社。脇道をこえてみどり美粧院(角)、暁産業那覇支店、みつば商店、文林堂、大洋商事、川平商店、中村製靴店、国場組貿易部、大洋貿易商事(角)、道をこえて上原真得商店(角)、セントラル美粧院、みよし食堂、まるぎ金物店(角)、脇道をこえて瑞慶山商店、大きい区画で新田商店
道をこえて菊地商店(角)、○儀商店、理髪なにわ、石垣自転車商会分店、ロング理髪館、ストアータイラ、オリンピック(角)、道をこえて金銀小細工たつや、ナンバーワン写真館、友寄商店、地球堂時計店、仲井真商店、旭すし本店、ふたば屋、比嘉菓子店、赤嶺時計店

神里原大通り(52年)

戦後最初の繁華街であった神里原大通り(50年代初期)です。

通りの範囲は沖縄主要地主要商工年鑑(1952)の第三十一〜三十三図を参考にしています。丸国マーケット()から大洋劇場前(ピンク)を通り330号線に至る区間です。
紫ポインタは開南会館、赤は農連市場です。

沖縄主要地主要商工年鑑は独特の省略のしかたがされていて読みにくいのですが神里原は特に読みにくいです。
上図は三十一図から三十三図の三つの図をつないで描いたものですが、最初の図でわかるようなカーブが一切ありません。これをどうやって解読するのかということになるんですが、図中に存在し後年の地図で位置が特定できる箇所(例:大洋劇場)や他の道との関連性を考えて推定します。故に推定が間違っていたら狂います。そのへんご了承頂きたく。
図は下側が丸国、上が330号になります。

最初の図で黒く描いた開南会館と農連の間の道は50年代にはありません。ゼンリン地図69年版でも未だ開通しておらず、予定地として白くなってます。
仮にこの道を開南農連バイパスと呼びます。

国土交通省の77年撮影の写真を自分が加工しました。
開南農連バイパスは開南会館(紫)から途中までは通っていますが、大洋劇場(ピンク)からは開通していません。最初に開南側から工事が行われたのがわかります。またゼンリン69年版では大洋劇場(与儀3-778)の敷地は四角いのですがバイパス工事の為に角が一つ削られています。この削られたであろう箇所をピンクの線で書入れました。
大洋劇場後方あたりが50年代当時どうなっていたのかがさっぱりわからないまま作業をします... 
58年の地図がありました

写真掲載元:http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=COK-77-1&PCN=C58&IDX=7&PNO=1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19

バス道路[神里原] (52年) 2

バス道路[神里原] (52年)の続きです。
左図は沖縄主要地主要商工年鑑(1952)の第三十四図、右はそれを推定してグーグルマップ上に描き入れたものです(両方とも図の下が北)。この図はいろいろと不確かなところがありますので詳細は前回を見ていただきたい。


1は図の下から。
高目呉服店(角)、丸星商事合名会社、冨世商店、沖縄書籍、田原商店、ローズ美粧院・写真館(角)、道をこえて○儀商店(*1)、冨士屋、○儀商店(*2)、ラジオサイエンス社、那覇商事。離れた角に合同バス本社
2も下から。
糸満商会(呉服反物)、岩崎商会営業所、昭和バス、福地商店、渡嘉敷商店、道をこえて知名商店(角)、若松食堂(角)、道をこえて島袋金物店、南風原商店(e)、新里商店
3神里湯(図中の)から下に向って左手から中村食堂、京楽旅館、なかよし旅館、しろま旅館、よろず食堂、そこから大きな区画の王則○商店(f)、そこからバス道路向けに東洋グリル、コロンバン、三輸
続いて4
まずa那覇劇場、その向い(b)が白水食堂。3の区画のうちの那覇劇場側は上が美月旅館、下が前里商店。向い側は図の上から新田家具製作工場(角)、宮古農連
5はバス道路を図の上方向から下に。
あけぼの旅館(角)、比嘉時計店、栄商事、宮古水産、名称無し(角)、道をこえて青柳食堂。バス道路から入っていって左手のd美松製菓、続いて名称無し、新城安盛商店、美人閣。バス道路から入って右手のc古堅兄弟社、そして中村商事

*1と*2の不明文字(○で表記)は下図の一番右の文字です。
おそらく「与」の俗字か略字ではないかと思いますがよくわかりません。

バス道路[神里原] (52年)

沖縄主要地主要商工年鑑(1952)の第三十四図です。中央にある太い道路は「バス道路」と書かれています。

この範囲には那覇劇場(a)や神里湯()などの後年まで残っていた箇所があるのですがよくわからないとこがあります。理由は沖縄主要地主要商工年鑑の図の書き方に由来するんですが...
グーグルマップ上に上の図と同じように描いてみたものが下図です。第三十四図と同じように南北逆転させてあります。

大洋劇場へ向う路地が左側で新栄通りに向う路地は右側になるのでこれであたっているのだと思います。しかし神里湯のある道あたりはどうも第三十四図とは違うようにしか見えません。
沖縄主要地主要商工年鑑には図の書き方の癖があり、他の図でカーブしているにもかかわらず直線状に描いたものは別の図でも直線で書かれている事が多いです。なので店舗名との照合や道路間の関係性などを確認しなくてはいけないのです...
第三十一〜三十三図ではマルクニマーケットから現330号線までの区間を一直線で描いているのでそれとの整合性を図ったのではないかと考えています。ですので今回取り上げた第三十四図では下から二つ目の横線の神里原商店街(図中に書かれていますが略しています)が現実的には弧を描いているにもかかわらず直線として描写し、神里湯あたりとの道の関係性を表そうとするとこうなったという結果ではないかと思われます。

壺屋天ぷら坂のバス(三共・東陽)にかんしては市場通り(52年) 2、神里原のようすについては神里原通りのようす 2などを参考にして下さい。
この図の店舗名はバス道路[神里原] (52年) 2を参照して下さい。

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