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真地の水路

70年代真地の周辺図です。ゼンリン地図から抜き出しました。
真地
緑になっている所が畑の表示がある所でこの範囲内に住居はほとんどありません。市街地化される以前は純然たる農耕地帯ですね。
紫は暗渠、水色は露出している水路です。水があって良い農地だったのでしょう。

現在の環状2号(沖縄県道82号那覇糸満線)はまだ開通していませんが工事ははじまっています。
•本土復帰後、那覇市安謝 - 首里儀保町の環状2号線が全線完成。その後南風原町新川 - 那覇市上間一日橋間も完成。
•1980年前後 那覇市安謝 - 首里儀保町と南風原町新川 - 那覇市上間の環状2号線、東風平町外間 - 糸満市賀数、同市座波 - 潮平の市町道(一部農道も含まれる)が県道那覇外環状線(県道220号)として県道に昇格。
•1990年代 南風原町津嘉山 - 終点(糸満市潮平)のバイパスが全線開通。

http://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄県道82号那覇糸満線


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練兵橋

今もある練兵橋です。

練兵橋は図の中央にある赤真加利原(アカマカリバル)にある大道小と真和志中から現松川小であるサクマ森(サクマムイ)に向けて安里川を渡る橋です。赤で示していますがその側の赤い四角は射撃場です。
松川小前を通り練兵橋で安里川に流れ込む流れは石田原(イシダバル)のハンタガー付近に端を発しています。
図の範囲がわかりにくいのでgoogleマップのリンク

前原・溝原・後原・長田原(国場)での引用をそのままここでも引用します。

もともと現松川小学校ちかくにあった日本軍の射撃場がいつの頃か勝良又原に移動してきた。
通称壺川、松尾集落の一帯に土を盛り上げクンチャミ毛の斜面に撃ち込むようになっていた。射的場はヒータイ橋から一直線にほぼ南北であった。
国場誌 p335


松川にあった射撃場の移転先は勝良又原(国場)です。

以下余談扱いですが、図の下にあるケブンジャー川はクチャガーラグヮーと説明されています。
ケブン川原(ケブンジャーバル)を源流とする流れですからケブンジャー川という呼び方はケブン川-川となって無駄な呼称になってしまいます。しかしこのブログではジャーが川というふうにピンと来る人ばかりではないことを考慮してケブンジャー川と呼びたいと思います。
参考:マカンジャーラ
この考え方で行くとクチャガーラグヮーも「クチャ-川-小」と考えるのが正しいのですがここまでくるとどう説明していいのかわかりません...

安里の暗渠

安里三叉路裏の暗渠です。


一部は道なりに、残りも原型がわかるような形であります。
上方の安里原と羽佐間原は丘で、暗渠のある平良原は低地かつ半分湿地でした。このあたりは上方の水が流れ込む経路だったのでしょう。

トンネル周辺

識名トンネル周辺
開通したトンネル周辺の図です。真和志市誌の図にかかれた道筋を書き込みました。
左側の赤い点トンネル開口部で、赤い点をつなぐように道路が造られ右側の点からさらに道路は延びてゆきます。

上間・識名・石田ともに古い集落ですからそこを中心として道のネットワークが作られているのがよくわかります。現在のように首里方面へすぐに行くことは出来ず金城町から川を渡ったり図の右側を大回りしなければ行くことが出来ません。

左上の×型の道路の上あたりはケブン川原となっていますがケブンジャーバルと読むのでしょう。自分はキブンジャーと表記してあった本を最初に見たのでキブンジャーと表記していますが表記の揺れがあるのかもしれません。
識名・繁多川は豊富な湧水がたくさんあります(現在も枯れていません)。


トンネルの感想はよくぶち抜いたもんだよなーってとこです。環状へのアクセスは曲がりくねって細い道とはたぶん比較になりません...

山川原・淵下原・東原・矢旗原(上間)

山川原・淵下原・東原
上間の山川原・淵下原・東原・矢旗原です。
ピンク色は仲井真で329号線から北は境界がはっきりとはわかりません。ですがそのほかの国場や上間との境界は川が境になっていてわかりやすいです。

変電所から上の部分は昔の道筋のみを表示してみました(真和志市誌/戦前における真和志村の土地を参照)。
現在の首里に抜ける道がなかった頃はどういう道筋だったかというと、変電所の側を登ってゆく道を登り体育館の上で180度回り込んでゆく道がそのまま旧道で、このターンから識名園に抜ける道や真地団地に向かう道もそのまま旧道のようです。
このターンも現在識名トンネルが工事中ですから現在の姿がいつまであるのかはわかりません。
那覇から変電所までの329号線の道筋もほぼ旧道のままですが現在の交差点付近ですこし整理され、橋が架かる場所の変更で道路が直線的になっているようです。

フチサ(フチシヤ 淵佐)で書いたようにフチサは崖下の意です。
>真和志村字上間の淵下原(ふちしゃばる)等みな同じ義で、方言「フチ」とは、懸崖の義でフチシヤは崖下というに当たっている。
上間の集落に向かって細い道が崖の側を登ってゆくところが淵下原です。

銘苅周辺

湿地
区画整理以前の現新都心です。
区画整理以前なので丘が削られていないません。銘刈川・湿地が谷で周囲に丘がある地形が確認できます。
またこの湿地周辺は遺跡が集中しています。

学校はピンクで表していて中央右側の切れている学校は興南高校ですが、返還前はその横にある道路へバイパスから右折するのには立体交差を使いました。現在はループ部分が撤去され新都心へそのまま直線的に進むようになりました。

地形の変化についてはこちらのサイトからもうかがうことが出来ます。

シュガーローフの戦闘  (日本軍名称 安里52高地の戦闘)
http://www.okinawa-senshi.com/sugarloaf-n.htm


返還直後に新都心地区に立ち入ったことがあるのですがそのときはまだ住居と道路の舗装が残っていました。そのあとしばらくして両方とも撤去され、その後は放置状態が長く続きました(一部は工事していたようですが)。
当時は小さな丘のたくさんある地形だなと思っていましたが過去の地図を見るとそれが正しかったと確認できます。道に迷って湿地にはまり込んだこともありましたし崖から落ちたこともありました(笑)。
当時は安里の寺の裏、古島あたりから入れたように記憶しています。

前原・溝原・後原・長田原(国場)

国場の原名(ハルナー)の続き。出典はすべて国場誌です。

前原(別名 アタンジャ)
 •赤山(カーチラ)前原の中にある河川敷の名称で昔はカヤの採取場所であった。

溝原(ンズバル)
ンズはその名の通り水の通る溝の意味であろう。「球陽」には今から二百年前「仲井真の西側から長さ1,2歩、幅2尺、高さ2尺の溝を掘った」とある。
溝原の北側と長田原の一部を含めて銭又(ジンマタ)と称する俗地名がある。現在の上間タンク敷地の所で松の苗代が二筆あった。銭又毛には子供が亡くなったときの仮埋葬するところが会ったが仲井真の方々の利用が多かった。


後原(クシバル・ウィーバル)
クシ・ウィーにはいずれも包囲、位置を洗わす地名でオキナワの小字名、小地名ではもっとも多い地名である。

長田原(ナガタバル)
地名の意味は長い田んぼのあるところであり、大字地名では読谷と宜野湾に同名がある。


国場の原名はこんなとこでしょうか。
溝原の「ンズ/ンジュ」が水の変化だというのも発音したら何となく納得。馬(ウマ)が「ンマ」であるのと同じようなもんですかね?
あと現在の尚学院のある丘は祝嶺毛(セークミモー)と呼んでいたようです。そのあたりに弾を撃ち込んでいた射的場(射撃場)のことも国場誌より引用しておきます。引用先ではクンチャミ毛と呼ばれていますが、あの辺りに祝嶺毛とクンチャミ毛がどのように存在していたのかは自分はわからず、沖大辺と尚学院辺を呼び分けていたのか同じ場所の別名かどちらかかと思われます。

もともと現松川小学校ちかくにあった日本軍の射撃場がいつの頃か勝良又原に移動してきた。
通称壺川、松尾集落の一帯に土を盛り上げクンチャミ毛の斜面に撃ち込むようになっていた。射的場はヒータイ橋から一直線にほぼ南北であった。参考図1 参考図2
国場誌 p335

垣新原(国場)

国場の垣新原(ガチェーラ原)について国場誌より引用します。

垣新原(ガチェーラ原)
国場原の西側に位置し、国場消防署のあたりから南下し国道に至り旧電柱通りを北上して消防署前の通りを結ぶ間を称する。そこには殿内家(トヌチモー)があり、その裾野が農地として利用された。カチェーラの「ラ」は場所を意味するがガチェーはなんだろうか。
 下方をワジャーといい、瓦屋原の一部も含まれる。傾斜地が多い中で、ワジャーの方はわりと平地で農地としても適している。ワジャーは湧水の意味。
 ここにあったヒータイ墓「桜花の塔」は糸満市摩文仁に合祀された。
国場誌 p91


旧電柱通りは今は真玉橋に向けて下る大きな路に取って代わられました。真玉橋から北上して突き当たる大きな交差点の道のうち一つだけ222号に向かう道は細いですが、あれが今も残っている電柱通りの道筋です。
ガチェーラの「ラ」は寄増原・洗田原・宮城原でも出てきた洗田原(アレーラ原)と同じようです。
  >洗田原(アレーラ原)
  >現在では住宅地に代わり昔の面影はない。
  >アレー(荒れたところ)ラ(地の意)ではないだろうか。洗田原は当て字であろう。

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