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久米婦女子の出稼ぎ

出稼ぎと云ふ事は琉球では最も奨励され又盛んにやツて居ると云ふ事で同じく那覇の城下にしても西村東村抔は比較的に少数で久米村と云ふ地方の人間に最も多数と云ふ事である
△シテ又持つて出掛けて行く品物はと云ふと云ふ迄もなく彼地の特産物たる織物を漆器其他の品物は極めて稀れに見る処なるが其織物即ち紬類や漆器抔に付て聞ける幾分を御紹介致さうと思ふ
△由来琉球婦人は単に我日本内地計りでもなく台湾、南清の各地に向つても反物や漆器抔の特産物を持ち出して盛んに行商をなして居るものの前にも一寸記して置いた如く同じ那覇の郡の中でも字久米村の住民に出稼者多く字西村又は東村の住民は概して土地にあり特産物の生産に従事して居るのであって夫から首里の住民等は又一風かはり昔から読書人が多く今でも官署や会社抔の小役人になツてるさうな


引用は「沖縄県史資料編16上」(p282、283)です。
明治37年1月9日、11日の「琉球婦人の行商」という記事ですが、元は九州日々所載のものであったようです。

関連:グダグダ(β) 反布商の奸手段 (久米アヤー)
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三月遊び(明治35)

3月21日には仲毛で大騒ぎしていましたが本番は静かだったようです。

3月遊び
△3月遊びも大抵下火となり例のコンパニー連中も一昨日位ひまでにて散会したるか如しなれは江内はコンパニー連の遊船が少なくとも230艘は浮び区内の処女たちが腕をかぎりに太鼓をたたき声をかぎりに歌を歌ひ一見恋も興も醒る程のざまをやりそのざまを見物する為睾丸連も浮かれ出す様な騒ぎに江中江辺中々の賑ひなるが本年は尚家忌中に遠慮して歌の声も鼓の音も余り聞へずコンパニーさへ少なく大抵は思ひ/\に芝居に見物と出かけるものあり公園に出て静に遊ぶものあり併し久茂地及ひ湧田辺には例の太鼓騒ぎのコンパニーを見受け遊船も24艘はありたり
△女生徒は教師より厳に諭示する所ありたる為230人位ひ一群となり公園に出て学校にて教へられたる遊戯をして遊ふものを見受けたるが彼の猥褻の唄を歌ひふざけた真似をするものに比すれば年を同ふして語るべからざるなり
△重開き盃も旧4日5日が急に寒くなりたる為め波上辺に出るもの極めて少なくこれも大抵は芝居見物と出かけたり総して云へば本年の3月遊びは余り失態をも演せす例年に比し静かなりき
明治35年4月17日 琉球新報 沖縄県史資料編16上 p204


この年は静かだったようですが例年は2、30艘の船があって見物人も出てたというのがわかります。
尚泰が明治34年8月に没していますので、記事中の尚家忌中というのはこのことだと思われます。

野卑猥褻なる俗謡(明治35)

3月遊ひの下稽古か
旧暦の3月も最早十数日を余せる今日此頃多分其の下稽古ならんと推察するか那覇仲毛附近にては45日前より数十名の少女四ツ角或は空屋敷へ群集し例の野卑猥褻なる俗謡を歌ひながら朝から晩まて青筋立てて太鼓を叩き居る模様なるか中には良家の小娘等も打交り居れと89分通りは子守女の如き無教育の者にて我が輩も左程望みを置く訳にはあらされとも能く遊ひ能く働くは文明国今日の気風にて我が輩も之を咎めす却て奨励する側の一人なるか天真爛漫清浄潔白の乳臭児をして右の如く野卑猥褻なる俗謡を歌はし又不知不識の間に其学科を修了し後日如何に大胆不敵なる婬奔娘を出たすかを思へは今より寒心すへき事共にして父兄に於ても実に情けなき次第にあらすや左れは今後は高尚優美にして婦女子にふさはしき遊戯を仕組み愉快娯楽の間に覚えす知らす徳育を養成する方法を講させ度もの也
明治35年3月21日 琉球新報 沖縄県史資料編16上 p202


3月遊びの下準備で歌や太鼓で大騒ぎしているという記事ですが野卑猥褻なる俗謡ってのはどんなもんだったんでしょうか。
本番では船を貸し切って流れ舟として一日中遊んだようです。

前に取り上げた東町生まれの大湾さん(明治2年生)の3月遊びのようす。
参考:グダグダ(β) 東町の3月遊び/流れ舟 1
参考:グダグダ(β) 東町の3月遊び/流れ舟 2
参考:グダグダ(β) 東町の3月遊び/流れ舟 3

當間マウシ山原船を差押ふ

當間モウシ(マウシ)が山原船を差し押さえたという明治45年の新聞記事です。

當間マウシ山原船を差押ふ
▽遂に裁判沙汰に上る
1代で数万の財産を積み那覇で女傑の一に算へられる区内字東1602當間マウシが自分債券保全の為債務者糸数喜次郎所有山原船を差押へたるに端なく西銘直次郎と云ふ人より差押解除の訴訟をなした其処で當間マウシは被告となりて今度那覇地方裁判所で直次郎相手に正邪を争ふこととなつたが今当事者間の主張する所を聞くに原告那覇区字垣花新前原860西銘直次郎の云ふには今度當間マウシが差押へをした琉球山原船11反船(価格750円)は原告直次郎の所有である當間マウシは島尻郡知念村字久高80糸数喜次郎に債権ありて糸数が債務を怠りたるを以て原告所有船を差押へたのである。(中略)昨日は松田宮崎野上の3判事佐伯書記を随へて風月楼下の碇泊山原船に赴き23の証人調べをなした口頭弁論は来る22日午前9時
明治45年4月20日 琉球新報
---
當間マウシ勝訴
當間マウシ対西銘直次郎民事事件は昨日地方裁判所に於て判決言渡しあり証人糸数喜次郎は當間に不利益の証言をなしたるにも拘らず審理の結果は被告當間マウシの勝訴に帰したり
明治45年4月30日 琉球新報


引用元は「沖縄県史資料編16 下」(p449、451)です。
新聞にも「那覇で女傑の一に算へられる」と書かれるくらいですから有名だったんでしょうね。

昭和初期の繁多川の農業

「繁多川100周年記念誌 繁多川」から野菜の栽培について。

1936(昭和14)年の蔬菜指導園の成績を見ると真和志村の繁多川出荷組合ではトマト6反とサヤマメ8反とキャベツ8反が栽培されていて収量をあげている。繁多川出荷組合は1933(昭和8)年8月1日に15名の組合員で金城幸仁さんを組合長に設立されている。場所はタバコ乾燥場の近くで、出荷品目はキャベツ、トマト、キュウリ、サヤマメで、本土各県に出荷していたという。トマトの出荷の際には痛まないように緩衝剤として水苔(マーイーグヮー)が使われていた。水苔は近くの山で取ってきていた。
また、天久、安謝と繁多川は百合根(てっぽう百合)が有名で、当時外国へも輸出していたという(真和志市誌)。テッポウユリは沖縄原産の百合で、「白百合」として世界に広がったという。その名残として、戦後も各家庭の庭に球根が残っていて花を咲かせていたという。
「繁多川100周年記念誌 繁多川」 p115(抜粋と編集)


昭和にはトマトが栽培されて輸出されていたんですね。
そのほか蔬菜栽培についても興味深い箇所があるので引用します。

沖縄での蔬菜園芸の研究は1924(大正13)年に沖縄県農事試験場園芸部の創設に始まるという。その成果から1940(昭和15)年までにキャベツを筆頭にトマト、インゲン、人参、ナス、キュウリなど多くの野菜が本土出荷され、1931(昭和6)年度より1939(昭和14)年度までの9年間で述べ282ヶ所の蔬菜指導園が設置された。
「繁多川100周年記念誌 繁多川」 p115(抜粋と編集)

反布商の奸手段

反布商の奸手段
チョン曲或は手に入墨あるを標榜して久留米絣其他内地産廉価の反布を以て真個の琉球産出の反布の如く装ひて当地新米の他府県人を欺く久米アヤー達の奸手段を聞くに彼等は内地産出の反布を23円の廉価を以て買取り巧みに琉球産の如く商標あるをなして新米の客を欺く23円の価値ある反布をして78円乃至10円程に売却をなし居ると云ふことなるが斯くの如き絶えざる間は琉球産反布の信用漸次其の真価を失ふのみにして心あるものの私かに嘆じ居る次第なるが右に就き某氏の語る所によれば織物同業組合の定款中不正品販売者に何等制裁の設けなきは是等奸商を跋扈せしめし所似にして他の織物業者が1反2銭の検査手数料を出して受検をなし琉球真個の産出なるを証明せしむといえども新来の客が予め同業組合の如き組織あるを知らざるに於ては只アヤー連の奸手段に巻込まれるのみ組合組織が少しも琉球反布の信用を保持し行く目的に適はざるにあらずや云々
明治43年3月26日 琉球新報 沖縄県史資料編5 p392(抜粋と編集)


「沖縄県史資料編5 染織関係近代新聞資料」は染織関係の記事が集められています。
上の引用は久米のおばさんたちが内地産の安い布を沖縄産だと偽って内地人を騙しているという記事です。他には品質向上のための組合設立や工芸学校の設立記事や検査を通さない密売の摘発&罰金などの記事があり産業としててこ入れを図ってるのがうかがえます。なのにおばさんたちがしょうもない詐欺をしていたんではたまらんかったんでしょう(笑)。
他には台湾でも同様のことをやっていたようです。

税額番付/長者番付(1957)

市民の友の「58年度固定資産税額番付」という記事の一部です。

57年度番付表10位迄
法人の部
琉球海運|666000
沖縄配電|391000
国映館|315000
オリオン興行|200000
沖縄セメント|143000
沖縄映配|142000
琉球銀行|134000
国場組|131000
琉球水産|130000
琉球生命|111000
個人の部(単位千円)
上岡作太郎(7区)|791
高良盛一(4区)|162
長嶺将蒲(1区)|76
辰野元造(6区)|64
慶田喜代治(美栄橋)|63
佐久川○道(4区)|56
高良郎栄(5区)|55
高良嘉永(5区)|53
高良 一(4区)|52
糸嶺篤弼|51
市民の友 1958年2月1日 第85号


この番付もおそらく固定資産税です。高良姓が多いですがこれは牧志周辺の土地価格が上昇してるのが反映していると思われます。

那覇市長者番付(1954)

市民の友の第24号から長者番付記事です。

那覇市の長者番付
地主で占める高額者

那覇市税務課では先頃から各種市税の実態調査を実施中であったが、この程ようやく一段落。こんどの事業税は法人を除いた個人関係の分で、調停総額1058万5501円(6966件)その中からベスト20を拾って見ると次の通りで、高額者の殆どが地主で占められている点は興味深い。(但しこの番付は料亭その他で査定を保留してある大口が少なくないので年度末迄にはかなり移動があると云われている)
氏名|事業別|税額
上岡作太郎|貸宅地|125000
国場真一|マート|67344
高良盛一|貸宅地|44843
糸嶺篤弼|貸宅地|40143
神元ツル|貸宅地|33733
高良嘉永|貸宅地|29966
大城 毅|医 師|29400
志喜屋孝信|貸宅地|26973
奥原盛良|遊技場|26250
大城鎌吉|貸宅地|22800
長嶺将蒲|貸宅地|21009
浜松哲雄|医 師|21000
當間嗣一郎|マート|20090
賀数恵輔|貸宅地|20409
赤嶺太郎|貸宅地|19931
照屋節子|パーマ|18960
高良盛一|貸 家|18560
荻堂盛行|貸 家|18000
垣花恵一|マート|17830
国吉永造|貸 家|17520
市民の友 1954年2月15日 第24号(抜粋と編集)


高良盛一が貸宅地と貸家の2つあるのは元記事のままです。他の年の番付などでは劇場主や料亭なども高額所得者の常連ですから記事の通り注意する必要があるかとは思います。

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