出稼ぎと云ふ事は琉球では最も奨励され又盛んにやツて居ると云ふ事で同じく那覇の城下にしても西村東村抔は比較的に少数で久米村と云ふ地方の人間に最も多数と云ふ事である
△シテ又持つて出掛けて行く品物はと云ふと云ふ迄もなく彼地の特産物たる織物を漆器其他の品物は極めて稀れに見る処なるが其織物即ち紬類や漆器抔に付て聞ける幾分を御紹介致さうと思ふ
△由来琉球婦人は単に我日本内地計りでもなく台湾、南清の各地に向つても反物や漆器抔の特産物を持ち出して盛んに行商をなして居るものの前にも一寸記して置いた如く同じ那覇の郡の中でも字久米村の住民に出稼者多く字西村又は東村の住民は概して土地にあり特産物の生産に従事して居るのであって夫から首里の住民等は又一風かはり昔から読書人が多く今でも官署や会社抔の小役人になツてるさうな引用は「沖縄県史資料編16上」(p282、283)です。
明治37年1月9日、11日の「琉球婦人の行商」という記事ですが、元は九州日々所載のものであったようです。
関連:
グダグダ(β) 反布商の奸手段 (久米アヤー)
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