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昭和初期の繁多川の農業

「繁多川100周年記念誌 繁多川」から野菜の栽培について。

1936(昭和14)年の蔬菜指導園の成績を見ると真和志村の繁多川出荷組合ではトマト6反とサヤマメ8反とキャベツ8反が栽培されていて収量をあげている。繁多川出荷組合は1933(昭和8)年8月1日に15名の組合員で金城幸仁さんを組合長に設立されている。場所はタバコ乾燥場の近くで、出荷品目はキャベツ、トマト、キュウリ、サヤマメで、本土各県に出荷していたという。トマトの出荷の際には痛まないように緩衝剤として水苔(マーイーグヮー)が使われていた。水苔は近くの山で取ってきていた。
また、天久、安謝と繁多川は百合根(てっぽう百合)が有名で、当時外国へも輸出していたという(真和志市誌)。テッポウユリは沖縄原産の百合で、「白百合」として世界に広がったという。その名残として、戦後も各家庭の庭に球根が残っていて花を咲かせていたという。
「繁多川100周年記念誌 繁多川」 p115(抜粋と編集)


昭和にはトマトが栽培されて輸出されていたんですね。
そのほか蔬菜栽培についても興味深い箇所があるので引用します。

沖縄での蔬菜園芸の研究は1924(大正13)年に沖縄県農事試験場園芸部の創設に始まるという。その成果から1940(昭和15)年までにキャベツを筆頭にトマト、インゲン、人参、ナス、キュウリなど多くの野菜が本土出荷され、1931(昭和6)年度より1939(昭和14)年度までの9年間で述べ282ヶ所の蔬菜指導園が設置された。
「繁多川100周年記念誌 繁多川」 p115(抜粋と編集)
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