3月21日には仲毛で大騒ぎしていましたが本番は静かだったようです。
3月遊び
△3月遊びも大抵下火となり例のコンパニー連中も一昨日位ひまでにて散会したるか如しなれは江内はコンパニー連の遊船が少なくとも230艘は浮び区内の処女たちが腕をかぎりに太鼓をたたき声をかぎりに歌を歌ひ一見恋も興も醒る程のざまをやりそのざまを見物する為睾丸連も浮かれ出す様な騒ぎに江中江辺中々の賑ひなるが本年は尚家忌中に遠慮して歌の声も鼓の音も余り聞へずコンパニーさへ少なく大抵は思ひ/\に芝居に見物と出かけるものあり公園に出て静に遊ぶものあり併し久茂地及ひ湧田辺には例の太鼓騒ぎのコンパニーを見受け遊船も24艘はありたり
△女生徒は教師より厳に諭示する所ありたる為230人位ひ一群となり公園に出て学校にて教へられたる遊戯をして遊ふものを見受けたるが彼の猥褻の唄を歌ひふざけた真似をするものに比すれば年を同ふして語るべからざるなり
△重開き盃も旧4日5日が急に寒くなりたる為め波上辺に出るもの極めて少なくこれも大抵は芝居見物と出かけたり総して云へば本年の3月遊びは余り失態をも演せす例年に比し静かなりき
明治35年4月17日 琉球新報 沖縄県史資料編16上 p204この年は静かだったようですが例年は2、30艘の船があって見物人も出てたというのがわかります。
尚泰が明治34年8月に没していますので、記事中の尚家忌中というのはこのことだと思われます。
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