画像は無断拝借。


右は
http://www.pupa-hatena.com/b_log/site/2006/10/post_81.html、左は国建の記念誌pdfから切り出し。
探しても写真ないんですよね... 安藤忠雄(
wikipedia)で完成当時(84年?)の建築雑誌を探さないと駄目かも。
上左画像pdfの掲載元は下記アドレスの第三章。結構面白いです。
株式会社国建|国建の半世紀http://www.kuniken.co.jp/history/国場幸房さんの自叙伝。
株式会社国建|沖縄ん建築紀伝http://www.kuniken.co.jp/kenchikukiden/index.html以下余談として。
フェスティバルビルは意欲的な建築だったようなんですが、テナントの営業内容と建物(建築家)の思想がかけ離れていたように思えます。自然の風や光を利用するというコンセプトは理解できるのですが、テナントは洋服屋さんばっかりだったので自然の風にまかせて商売というのもつらいような気がします。似たようなコンセプトで名護市庁舎がありますが市役所だと汗ばむくらいは許容範囲のはずなので、フェスティバルビルはやはり業態とのミスマッチではないかと思います(好きなんですけどね)。
名護市庁舎:
http://www.city.nago.okinawa.jp/4/3557.html自分の憶えている限りでは店舗はみんな締め切って空調をかけていましたし、雨の日などは吹き抜けから落ちてくる雨が中庭をぐしゃぐしゃに濡らし、同じ階の他の店に行くのにも軒下を歩かないと屋内なのに濡れる(笑)。台風後の屋上はグチャグチャに...
でもエスカレーターで上がってゆく時の光の柔らかさは気持ちがいいではあるんですよね。
【追記】フェスティバルビルについてまとめられたサイト(下記アドレス)があり、そこで1984(昭和59)年9月にオープンとの情報があったので新聞を確認したところ9月15日付の沖縄タイムスにオープン広告がありました。
また1996年11月に名称変更になったようです(下記サイト参照)。
http://www.zukeran.org/shin/d/2012/02/29/festival-buildings/PR
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