改修以前の国際通りの続きのようなもんです。
図を再掲。

上図は「那覇市旧跡・歴史的地名地図」を参考に作りましたが、50年代の改修以前はこの道筋のままであったようです。
下左写真は米軍撮影、下右図は写真から読み取れる道筋。

以前取り上げた「沖縄主要地・主要商工年鑑」の51年版(第九図表)と52年版(第一図)での紅房。


紅房社史からこの位置にあったころの証言を取り上げます。
岡本[亜紀] 話は戻るんですけど、国際通り時代、製作工場と店舗がありましたよね、たしか。
山城[正成] 国際通りにあったときには、工場の敷地は非常に広かったですよ。建物がトタン屋根だけれども、4棟くらいありましてね。その周辺に、従業員の社宅があったんですよ。今の「わしたショップ」から国際通りを横切って「ざまみ紙店」のうらあたりまで紅房の敷地だったんです。
親泊[一郎] それは戦前も敷地だったんですか?
山城 いや、戦後に。その後国際通りが拡張するというので、今まで紅房の前にあった道が紅房の敷地の真ん中になってきた。真っ直ぐにしたために。だから「おまえら移れ」と、その時の市長が当間重民さん。そういうことで若狭町に移された。
紅房社史 p58(抜粋と編集)ということで現在の道路がある場所に紅房があったのは間違いないようです。
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