与儀の暮らしでとりあげた明治34年生まれの城間さんの証言にハシグチという名前が出て来ます。

那覇民俗地図では泉崎橋のそばに橋口マチグヮーという名前が見え、その横には鶏市というのも見えます。
城間さんの証言から引用します。
ハシグチ、東町、潟原マチグヮーなど、どこに売りに行くかは売る物によって場所が決まった。たとえば現在の知事公舎のところにあった芋畑からは、壷屋経由で潟原が近く、芋は特別洗う必要がないので畑からそのまま売りに行った。
また与儀の家近くの畑からは葉野菜が取れたが洗わなければいけないので洗い場に行き、そこから近い東町やハシグチの市場へ行った。歩きながら道々で売ることもあったが、市場はそこに置けば売れるためほとんどは市場で売った。
なは女性史証言集 p88那覇市史には鶏市(トゥイマチ)の項目があります。
トゥイマチ(鶏市)
鶏市の売り手は、一人しかいなかった。離島の粟国、渡名喜から運ばれて来る足の長い雑種の「ハートゥイ」が多く、料理屋などがまとめて買っていった。成鶏は斤量で、ひなは見当で売買されていた。
那覇市史 資料編第2巻中の7 p286粟国ヤール小、渡名喜ヤール小もあったようですから、常駐に近いような島の人が鶏市で販売していたんでしょうね。