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ウィーマチグヮー(上の市場)

初期の市場であるウィーマチグヮーです。

[1947年]11月下旬頃には、現在の開南バス停付近から中央劇場通りにかけて、物々交換の場として自然発生的に市場のようなものができていた。ヤミ市の草分けである。付近は高台になっていたため、ウィーマチグヮー(上の市場)と呼ばれた。
沖縄・国際通り物語 p65


開南バス停から中央劇場(松尾公園)までがウィーマチグヮーであったわけです。中央劇場は仲井真元楷さんが建設したものです。
別の本から引用します。

旧市街は未開放のため、46年秋冬の本土引き上げ那覇人の一部は、開南バス停から下り坂の道路両側にテントをあてがわれ、約80人が入居。井戸がなく、松尾や汪樋川へ汲みに行った。
戦後の沖縄世相史
グダグダ 新栄通りのなりたち


ウィーマチグヮーは道路を混雑させ交通の邪魔になったため強制的に排除されます。新栄通りはウィーマチグヮーから移って来た人達だったのかもしれません。49年には開南から現グランドオリオン敷地へ市役所が移転します。

仲井真元楷は47年3月、松尾の高台に那覇最初の劇場を建てた。
48年、新栄通り会長となる。当初はゲタ・線香・野菜をほそぼそと売っていた。50年12月の新聞には「新栄通り 仲井真書店」とある。
公設市場に入店できなかったはみだし組は市場路上の売り場を追われ、市場通り南や、えびす通り、丸国マーケット前、今のみつや書店前の空地で、地べたに野菜を広げ、カゴに鶏やウサギを入れ、板箱の上に手作りの簡単服を並べて売っていた戦争未亡人たち。
戦後の沖縄世相史
グダグダ 新栄通りのなりたち


開南にあった那覇市役所は牧志町の通称クロンボー屋敷跡(現在のグランドオリオン付近)にコンセットの新庁舎を建設、1949(昭和24)年4月に移転した。
沖縄・国際通り物語 p65


通称クロンボー屋敷というのは黒人部隊がいたためです。
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