神里原通りは、新栄通りの丸国マーケット入口から東の神里十字路まで約500メートルの距離。
里芋畑の低湿帯だったのを、昨年6月から道路工事を行い、城岳の石を削り取って敷いたが排水溝がなく、雨が降るとぬかるんだ。ガーブ河がはんらんするとここも洪水になった。
50年4月、土地所有権が公布されると商店の建築ラッシュが続いた。神里原通りに雑貨店44軒、飲食店・料理屋が11軒、洋裁店9軒、美容店7軒ほか書店・衣料店・製氷店・旅館・金物店・畳店・ビンゴ屋・湯屋・ダンスホールなどが100軒あまりあり、裏通りにも100軒余の商店が軒を並べる。50年4月、通りの入り口に棟割りテナント丸国マーケットができ、5月に最初のデパート山形屋が建ち、12月に最初の鉄筋三階建て丸金デパートが完成した。
戦後の沖縄世相史 p36(省略と抜粋)

写真は歴史博物館から無断拝借しております(すみません)。キャプションは
「神里原周辺と大洋琉映館/昔の那覇劇場(壺屋1丁目1あたり)から大洋琉映館(矢印・壺屋1丁目3あたり)を眺めたところ」となっています。右図は神里原付近の地図に劇場の位置を書き込んだものです。
当時の道はこんな感じで、その下の写真は那覇市のサイトから拝借した神里原時代の山形屋です。


参考:
グダグダ マルキンデパート・リウボウ・山形屋【追記】
那覇まちのたね通信 | 那覇(平和通り)/神里原大通り (1951頃)
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1726PR