神里原大通り(52年) 3の続きで大洋劇場から330号線までの区間です。左図は沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第三十三図から、右図は左図の道などを現在の地図に書き入れたもの。
戦前の神里原は畑や湿地だったということですが、右上の赤い線で示した道のそばまでは家があったようです。


右図で黒い点をつけた箇所は、52年の図のうちゼンリン地図69年版でも確認できた店舗です。左図では小さく黒い印をつけてあります。右図で黒く囲った箇所は「大洋劇場」で、左図はここを少し過ぎた当たりにあった丸金デパートからが図の範囲になっています。
1は図の下方から(神里原から330号線に向けて)。
丸金デパート(a)、山川商店、島袋商店(*)、二見屋商店(*)、古波津商店。すこし奥に
長崎屋、美松食堂、表通りに戻って
新菊食堂、上海食堂、吉田薬局、すこし間があいて
リリー美容室、喜納理髪館、南部タクシー、南部工務出張所、ニューライン、まぶに商店、沖縄印刷所(*)、はやり理髪館(*)。
2も同方向に。
文教堂、照屋商店、辺戸名商店、東京屋、幸地薬店、花城商店、山形屋(角/b)。脇道を入って左手に
大福亭、吉美旅館(*)。表通りに戻って
丸真食堂、中屋貿易商事、大久保タタミ店(*)、食堂ほまれ(角)。脇道の奥には
国吉ホテル(c)。
表通りに戻って脇道角に
比嘉木材店、ひふみ理髪館(d)、宵待旅館(330号角)。
吉美旅館は山形屋の角を入って奥にあることになっているんですが、ゼンリン地図69年版ではそのあたりに「吉美」と書かれた箇所があります。ちなみに「吉美」の後方は「若松湯」となっています。
【注】図の下側部分の
2は
神里原大通り(52年) 2での図の
2に繋がっています。
沖縄主要地主要商工年鑑(52年)での図の関連性は左図。中央の図での最上部が右図の最下部に接続するようになっています。中央と右図は左図のようにもともと3つに分けられていた図の範囲を2つの図にしたものです。



だいたいの図は図の間に共通する店舗が入るようになっていて、図がどう関連しているのかわかるのですが、この2つの図の間には共通する店舗がありません(正確には丸金デパートだけ)。こまったことに丸金デパート向いの店舗がどうなっているのかも異なっています。
ですので少なくともこの図の丸金デパート周辺に関してはきっちり正確なものではないと思われます。
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