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池畑盛之助(池畑旅館・池畑運送店)

以前取り上げた池畑旅館の池畑盛之助です。沖縄県人事録(大正5)から抜粋引用します。

池畑盛之助
池畑旅館主
那覇市西本町一ノ三
現今沖縄県に籍を有すれど生産地は鹿児島市にして、令兄太平次氏は現に鹿児島市汐見町に合名会社池畑運送店を経営し、令弟末吉氏は□□□□の支店に、又末弟岩城氏は郷里に在って米穀商を営みつつあり。

明治15年既に現地に移住して陸軍用達に従事せり、同18年には合名会社池畑運送店の業務執行社員として那覇に支店を開設し、同時に大阪商船株式会社沖縄代理店となり、輸出入荷客の取り扱いに従事せるが、同45年同社支店設置とともに鹿児島郵船会社および沖縄広運会社の同盟結成せらるるに至り、事後同盟汽船□□人となり、大正4年10月木村杉原の他二運送店と合同して那覇運送合資会社を組織してこの無限責任社員となりたるほか、東京海上および大阪火災の各保険会社ならびにラサ島燐鉱会社の代理店を営みつつあり。
また別に古くより旅館を営み建築の宏壮と設備の完備を以て県下に名あり。


池畑旅館では下記のように引用しました。
>鹿児島及大島名瀬にも一族の旅館あるを以て旅客に便を与える事多く、
最初の引用での□は不明文字なんですが大島名瀬と読めないこともないのでそうだと思います(いいかげん)。「明治15年既に現地に移住して」が沖縄のことを指すのであればわりと早い時期に沖縄に来ていますね。経歴はこんな感じか。
•明治18年 池畑運送店那覇支店開設、大阪商船代理店
•大正4年 那覇運送合資会社無限責任社員、保険会社代理店、ラサ島燐鉱会社代理店


池畑運送店で検索するとこのような文も見つかりました。
八重山近・現代史年表 明治12年〜昭和20年8月14日まで
http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/100000/100500/Timeline/timeline-page/timeline-11.html
明治29年(1896)沖縄開運株式会社・池畑運送店・広運会社、各出張所を開設

思っていたより池畑さんは大物のようです。
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有馬参次郎(三笑堂)

沖縄県人事録(大正5)より有馬参次郎を取り上げます。
手短かに言うと、鹿児島人で久米で文房具商の三笑堂をやっていた人です。

有馬参次郎
書籍文房具商 三笑堂 
那覇区久米町一ノ一
君は鹿児島の人、明治3年10月1日を以て生る。亡市之助氏の三男にして概に一男一女あり。(略)
明治23年3月初めて那覇に来り、直ちに和泉屋書店の番頭となれり(略)
一ヶ年の後廃業するに至り、同時に之を平田喜右衛門氏ゆずりうけ、三笑堂と改名してこの業務を継続せり。君はさらに聘せられてこの店員となり、益々精勤して年と共に重用せられ、数年にして概にこの監督者となりしが、この後店主病死せりしを以て支配人となり爾来この経営に努めて益々隆盛を極めたり。
しかるに三年の後、吉田得蔵及び大坪岩次郎等これを譲り受け同時に君がこの経営者となり漸時業務を拡張して今日に至れり。


流れとしてはこういう感じでしょうか。
•和泉屋書店番頭(明治23、20歳)/和泉屋廃業
•和泉屋譲渡され「三笑堂」、店員になり後日監督者になる
•「三笑堂」店主病死につき支配人となる
•「三笑堂」を吉田、大坪が譲り受け、有馬は経営者となる(大正5年現在、44歳?)
また「理想的工場を久米町に新設して活版印刷業を開始し、現今書籍雑誌類、欧米文房具、和洋紙一切等の販売」もやっているそうです。

三笑堂は写真も残っています。
三笑堂
場所の特定と画像は「沖縄酔古地図」さまによるものです。ちょうど大門通りと久米大通りの角にあったようですね。

沖縄電気軌道の今
http://www.geocities.jp/kikuuj/zatugaku/okiden/okiden.htm

青山書店/小沢書店

「むかし沖縄」という那覇出版社の写真集があり、昔の写真にエッセイというか説明文をつけた形で作られています。その中に見世の前にあった「青山書店」と久茂地大通りの「小沢書店」に触れている文章がありました。
青山/小沢
赤いポインタが青山書店、青いポインタが小沢書店です。どちらもピンポイントに正確な場所ではなくこの区画あたりというくらいのもので場所は那覇民俗地図を参考にしています。
青山書店は山形屋と同じ区画に書かれています(図では赤)。

青山書店は、鹿児島出身の若い青山壮吉が、明治40年7月、25歳のとき来県し那覇東町に開店した。
店主の青山壮吉は青少年をかわいがり、若者たちに読書熱を吹き込んだので店頭には立ち読みをする少年が多かった。
---
[青山壮吉の]10年ほど前に小沢朝蔵が来県し、明治36年時計商から転職して久茂地大通りに書店を開いた。
むかし沖縄 p64 (編集)


小沢朝蔵は明治30年ごろ来県して時計商から小沢書店、青山壮吉は明治40年ごろ来県して青山書店。
この二つの書店は長くは続かなかったようで、昭和4年頃を想定している那覇民俗地図では久茂地大通り沿いには小沢書店跡となっています。
参考:グダグダ(β) 小沢朝蔵

昭和19年の10・10空襲を那覇市役所付近で体験した方の手記では旧青山書店となっていますので昭和19年にはもう青山書店はこの位置にはなかったことがわかります。

右側は山形屋前に連なりますが、左側は郵便局や■[マルメ?]マーケットがすでに燃え上っています。その先は煙で見通せません。右側の方へ逃れようとしましたが、そこもすでに火の海です。それで真向いの消防車庫の傍を抜け、布市場を通って旧青山書店の横から仲毛に出ました。
http://www.nahaken-okn.ed.jp/watashi/sougo/4okinawasen/3kusyu-1.html


那覇市史の新聞記事集成には小沢書店の前身?である小沢博愛堂の広告文があります。写真は小沢博愛堂です。

銀側懐中時計 各種
玉振掛時計 各種
日本楽器製造株式会社製オルガン(金16円50銭より150円迄)
教員及官吏諸君に限り月賦(3ヶ月以上10ヶ月以内)
低廉に販売仕候
那覇市 泉崎橋際 小沢博愛堂

明治33年1月11日 琉球新報

小沢博愛堂
画像は下記サイトさまよりお借りしています。
http://blogs.yahoo.co.jp/pusan_de/2573098.html

参考:グダグダ(β) 山形屋前(警察署前)

山城高興(ギンコウヤマグシク)

名うての富豪として有名な銀行山城<ギンコウヤマグシク>です。沖縄県人事録(大正5)からですが肩書きが富豪とされて、この本の中で他に富豪と記されているのは少ししかいません。
画像は「沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫」よりダウンロードして画像加工したものです。
山城高興
山城高興
那覇区東町2ノ18
沖縄屈指の富豪として声明高き君は、安政5(1958)年3月16日を以て那覇区東町に生まる。
故父はふるき薩摩藩士たる荒巻高寧氏にして、夙に琉球役所に勤務して声望ありし人、君はこの長男にして早くより一家を成し、明治維新のころ山城と改姓して現に高元および高義の二男あり。


安政は1854〜59年で明治が1868〜1912年ですから、安政5年は1858年で明治になる10年くらい前ということになりますね。幕末は年号がころころ変わってややこしいです。
それはともかく父が薩摩藩士で琉球役所勤めの「荒巻高寧」、10歳頃の明治維新の時期に山城に姓を変えています。
職歴は略して書き起こします。

明治16年10月 第百四十七銀行出納兼計算方
明治31年10月 辞職
明治36年12月 沖縄貯蔵食品株式会社専務取締役
明治38年7月 辞職
明治43年1月 那覇商業銀行専務取締役/すぐ辞職
明治43年4月 那覇区議会議員当選
大正3年 改選に際し辞職
沖縄県人事録(大正5)による


昭和12年頃?に亡くなったと思われます。
この人は那覇民俗地図にも東町大通りの第百四十七銀行の向かいに「銀行山城」として記載されています。

関連:グダグダ(β) 山城高興について (来歴など)
関連:グダグダ(β) 山城高保 (孫が跡を継いだ)

楢原旅館/風月楼

沖縄県人事録(大正5)にある楢原旅館です。

楢原旅館
那覇区西本町一ノ一〇
同館は元浅田旅館にして、内外の信望すこぶる厚くして隆盛を極めたるものを、当地第一の料理店たる風月楼楢原鶴吉氏これを引き受け、爾来館内の諸設備を改良して該来客の便利を図るに努め、拮据経営日とともに信望を加えてついに今日の盛大を見るに至りしなり。(略)
しかも屋内には球戯場の設けありて随意にこれを使用せしめ、現今県下唯一の娯楽場として日夜隆盛を極めつつあり。


風月楼の経営者楢原鶴吉さんが浅田旅館を引き受けて楢原旅館にしたということですね。

風月楼 和洋料理店
那覇区通堂町三ノ一
明治33年5月、初めて現楢原旅館主楢原鶴吉氏が前経営者たる東家より譲り受けこれを経営するに至り、数年の後長子たる現主嘉平氏の手に移り、大正3年新築工事を起こし、(略)
料理は大阪流の包丁を見せて同楼の自慢なり。現時十数名の大小妓を抱え、東京その他より美しき仲居十数名を雇い入れて繁盛し居れるが、同店に於いて毎年二月催す初午祭には、芸者一同にて芝居を催し、近時同地に於ける年中行事のごとくなり居れり。


楢原鶴吉、嘉平親子が池畑旅館と風月楼を経営しているということです。風月楼は大阪風、芸妓、仲居ということから内地風の料理屋であったことがわかります。和洋料理店という名称は純粋な和食のみの料亭ではなく当世風の新メニューも出すといった捉え方でいいのでしょうか。
奥武山

【追記】「吾妻」と「東」は一応同じ読みではありますがどっちでしょうか。
東家本店・東家分店吾妻館の広告(明治28)を参照
風月楼は明治、大正、昭和(戦前)を通して、沖縄でたった一つの「ヤマト芸者」だけの料亭として高級社交場となり、上流階級の各種の宴会に利用された。御物城という風物詩的な景勝の場所であったことや、同楼の美妓連が世人の目をひき、名物の一つになっていた。
沖縄県史別巻

明治20年代に塚本某というのが、このみものぐすくに大和風の料理屋「吾妻館」を開設したが振るわず、その後楢原嘉平が譲り受け、名を風月楼と改称し、新しい経営に当った。
市民の友 1981年12月15日 第372号



左画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫の「沖縄県人事録/楢原 翠邦編(大正5)」から切り出して画質調整、下にある説明は「風月楼の大広間及び全景」。右画像は左組写真にもある全景で画像は下記サイト様よりお借りしています。

風月楼 - 昔の写真と資料 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/pusan_de/2218418.html

池畑旅館

大正5年の沖縄県人事録にある西本町の池畑旅館です。

池畑旅館
那覇区西本町一ノ三
那覇桟橋をへだたること一町、通堂大通りに面せる大旅館あり。これ沖縄第一等の高等旅館にして、建築宏壮雄麗なると室内の整頓せるとは概に定評あり。(略)
鹿児島及大島名瀬にも一族の旅館あるを以て旅客に便を与える事多く、又兼業として運漕店を営みつつあるにより海路の便よく、総てに於いて理想的設備完全して、今や県の内外に其の名高きは即ち池畑旅館なり。同館は県下同業者中最も古き歴史を有し、したがって信用の如きもすこぶる厚く、逐年拡張発展して、ついに今日に至れるが、現今殆ど冒すべからざる勢力ありて、其客種の如きも自ら他と趣を異にし、隆盛を極めつつあり。


通堂大通りは那覇市民俗地図にはありませんが電車の走っている道でしょうか。「那覇区西本町一ノ三」は右図の西本町(ピンク)の1です。

最も古い旅館であること、鹿児島と奄美大島にも一族の旅館があること、兼業として運漕店も営んでいることなどがわかります。

大正館(旅館)

大正館は徳之島出身者の経営する旅館です(沖縄県人事録[大正5]による)。
奥山奥千代さんは徳之島から沖縄に来て海運業に身を置き、大正初頭に西町に旅館を作ったようです。きれいには写っていませんが写真もあり、木造二階建ての大きな旅館であった事がわかります。
大正館
画像は「沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫」よりダウンロードした沖縄県人事録(大正5)の画像から切り出しました。

大正館 旅館
那覇区西本町一ノ一一
同館の経営者たる奥山奥千代君は鹿児島県大島郡亀津村の人、つとに本県に来りて海運界に活躍し、躯幹倭小なるに似ずすこぶるの活動家として声望あり。其本館を開設せしは大正の初頭なりしを以てこれを大正館と名けしが名は実の賓にして、其の施設経営は総て大正の新式により、規模甚だ大ならずといえども諸設備整頓して亦一の間然とする処なく、現今数多き同業者間に在りてすこぶる隆盛を極めつつあり。
(略)
而して其位置は桟橋に近く、また那覇市内の各所に至る枢要地に在るを以て便利よく(略)

新元亀次郎

沖縄人事録(昭和12年)より新元亀次郎の項を抜粋引用します。

新元亀次郎
化粧品、小間物、メリヤス、雑貨商  那覇市上之蔵町一ノ一〇 石門通
君は鹿児島県人故新元亀次郎氏の長男にして明治30年1月5日を以て那覇市に生まる。
大正4年沖縄県立二中を卒業して家業に従事し、同4年厳父物故に上り家督を相続し同時に襲名して今日に至る。
操業30年の歴史を有し、市内小間物、化粧品問屋中屈指の老舗たり、家業今日の隆盛なくに非ずといえども、父業継いで之をよく守り、更に積極的に活躍せる君の努力甚大なるおふべからず事実にして、世人よく知悉せるところなり。


この人は那覇生まれで鹿児島県人の二世ですね。
那覇にはタオルの新元という企業があります。合資会社新元で検索すると西町一丁目に店舗がありますが新元亀次郎さんの子孫がやっているのかもしれません。

Google 検索 - タオルの新元

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