沖縄県人事録(大正5)より有馬参次郎を取り上げます。
手短かに言うと、鹿児島人で久米で文房具商の三笑堂をやっていた人です。
有馬参次郎
書籍文房具商 三笑堂
那覇区久米町一ノ一
君は鹿児島の人、明治3年10月1日を以て生る。亡市之助氏の三男にして概に一男一女あり。(略)
明治23年3月初めて那覇に来り、直ちに和泉屋書店の番頭となれり(略)
一ヶ年の後廃業するに至り、同時に之を平田喜右衛門氏ゆずりうけ、三笑堂と改名してこの業務を継続せり。君はさらに聘せられてこの店員となり、益々精勤して年と共に重用せられ、数年にして概にこの監督者となりしが、この後店主病死せりしを以て支配人となり爾来この経営に努めて益々隆盛を極めたり。
しかるに三年の後、吉田得蔵及び大坪岩次郎等これを譲り受け同時に君がこの経営者となり漸時業務を拡張して今日に至れり。流れとしてはこういう感じでしょうか。
•和泉屋書店番頭(明治23、20歳)/和泉屋廃業
•和泉屋譲渡され「三笑堂」、店員になり後日監督者になる
•「三笑堂」店主病死につき支配人となる
•「三笑堂」を吉田、大坪が譲り受け、有馬は経営者となる(大正5年現在、44歳?)
また
「理想的工場を久米町に新設して活版印刷業を開始し、現今書籍雑誌類、欧米文房具、和洋紙一切等の販売」もやっているそうです。
三笑堂は写真も残っています。

場所の特定と画像は「沖縄酔古地図」さまによるものです。ちょうど大門通りと久米大通りの角にあったようですね。
沖縄電気軌道の今
http://www.geocities.jp/kikuuj/zatugaku/okiden/okiden.htmPR