「むかし沖縄」という那覇出版社の写真集があり、昔の写真にエッセイというか説明文をつけた形で作られています。その中に見世の前にあった「青山書店」と久茂地大通りの「小沢書店」に触れている文章がありました。

赤いポインタが青山書店、青いポインタが小沢書店です。どちらもピンポイントに正確な場所ではなくこの区画あたりというくらいのもので場所は那覇民俗地図を参考にしています。
青山書店は山形屋と同じ区画に書かれています(図では赤)。
青山書店は、鹿児島出身の若い青山壮吉が、明治40年7月、25歳のとき来県し那覇東町に開店した。
店主の青山壮吉は青少年をかわいがり、若者たちに読書熱を吹き込んだので店頭には立ち読みをする少年が多かった。
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[青山壮吉の]10年ほど前に小沢朝蔵が来県し、明治36年時計商から転職して久茂地大通りに書店を開いた。
むかし沖縄 p64 (編集)小沢朝蔵は明治30年ごろ来県して時計商から小沢書店、
青山壮吉は明治40年ごろ来県して青山書店。
この二つの書店は長くは続かなかったようで、昭和4年頃を想定している那覇民俗地図では久茂地大通り沿いには
小沢書店跡となっています。
参考:
グダグダ(β) 小沢朝蔵昭和19年の10・10空襲を那覇市役所付近で体験した方の手記では
旧青山書店となっていますので昭和19年にはもう青山書店はこの位置にはなかったことがわかります。
右側は山形屋前に連なりますが、左側は郵便局や■[マルメ?]マーケットがすでに燃え上っています。その先は煙で見通せません。右側の方へ逃れようとしましたが、そこもすでに火の海です。それで真向いの消防車庫の傍を抜け、布市場を通って旧青山書店の横から仲毛に出ました。
http://www.nahaken-okn.ed.jp/watashi/sougo/4okinawasen/3kusyu-1.html那覇市史の新聞記事集成には小沢書店の前身?である小沢博愛堂の広告文があります。写真は小沢博愛堂です。
銀側懐中時計 各種
玉振掛時計 各種
日本楽器製造株式会社製オルガン(金16円50銭より150円迄)
教員及官吏諸君に限り月賦(3ヶ月以上10ヶ月以内)
低廉に販売仕候
那覇市 泉崎橋際 小沢博愛堂
明治33年1月11日 琉球新報
画像は下記サイトさまよりお借りしています。
http://blogs.yahoo.co.jp/pusan_de/2573098.html参考:
グダグダ(β) 山形屋前(警察署前)PR