沖縄県人事録(昭和12)から新里康毅の項目を抜粋して引用します。
新里康毅
酒造業(砂糖委託倉庫兼業)
那覇市松山町
君は明治33(1900)年を持って首里市赤田町に生る。大正11年大阪東成区桃山中学校を卒業し直ちに家業について今日に至る泡盛醸造の傍ら西新町に砂糖蔵置場を経営し砂糖委託商を兼業せり。その経営せる泡盛工場の如きも逐年設備を改善し、品質の向上に専念して断然声価を高めて居り、大阪に直売店を設けて県外移出に先鞭を付けるなど、躍進的な業績多々見るべきものあり、兼業砂糖委託部に於ても新歩的施設の下に業績顕著なるものあって、同業界に重きをなせり。趣味旅行。新里は大阪に店舗も持っていたんですね。
大正14年の沖縄朝日新聞に新里康昌商店の広告がありますが、康毅さんはこの店をみていたと思われます。
内外 米穀 泡盛 肥料 砂糖 委託
那覇市西新町2ノ37
新里康昌商店
電話434番PR