沖縄県人事録(昭和12)から大城昌貞の項目を引用します。
大城昌貞
酒造業(美栄泡盛醸造元)
那覇市久茂地町2ノ77
君は明治11年首里市鳥堀町に生る。当家は代々酒造を以て家業として居り、君また二十歳の弱冠をもって父祖伝来の家業を継いで今日に至る。美栄橋の名にちなむ「美栄泡盛」の名は暖簾と共に古くから知られて居り、大正3年東京に於いて開催されたる大正博覧会に出品して入賞以来縷々各種品評会に出品して入賞、昭和10年11月の九州沖縄酒類醤油品評会に於いては特選賞金牌を受領し、いよいよ其の真価を内外に知らる。天資温厚謹厳、寡黙なれども他に親しまれるの美質あり、然も進取的気象に富んで恒に業界向上のために尽し、各方面の信望大なるものあり、推されて那覇商工会議所議員たり。酒造組合評議員其他の要職を有す。趣味盆栽。もともと首里鳥堀町の酒造家出身、久茂地町二丁目で泡盛製造業を営んでいたということですね。この時期の泡盛はビンで売られていませんから輸出する際に銘柄がつけられていたようです。


那覇民俗地図にも「戦前の久茂地民俗地図」にも「大城」や「美栄泡盛」の表記はありません。道の向こう側の那覇潟原(松山町2丁目)には玉那覇酒造所があるんですが...
場所は
久茂地町(昭和4)を参照してください。
ともあれ
戦前の酒造業界で触れた酒造連合会の三代目会長(1934〜36)ですから酒造界でもそれなりの力があった人なのは確かです。
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