1952年の栄町の店舗名。沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第四十四、四十五図と第三十九図を参考にします。


わかりやすくするために左図のように区分します。右は戦前の栄町一帯で
Bが一高女・師女です。
今回は上左図の
cの一帯。1949年8月(
参考)から沖縄バスがあり、330号線から大道小学校(
参考)へ向かう道は大道校通と書かれています。
1は大道校通からロータリー方向へ。
ブロック右側は
京屋食堂(角)、丸吉旅館、栄町湯(角)、ブロック左側は
空白(角)、おきな亭、よつ竹亭(角)。
2も同じく。
ブロック右側は
中外商事会社(角)、空白、叶屋旅館(角)、ブロック左側は
みよし旅館(角)、みつわ亭、栄亭(角)。
3も同じく。
春芳亭(角)、よしの亭、ふじや旅館、あたりや旅館、えくぼ亭、ともえ亭、松島亭、高千代亭(角)。
4はロータリーから330号線向け。
角に高千代亭があり、
はるえ食堂、●カマボコ屋(●は○に玉)、くめ旅館、ミスさかえ、黒猫食堂、我謝理髪館、美術天柳。
ここまでは第四十四、四十五図から。安里交差点から沖縄バスに向う通りは沖縄劇場通りで第三十九図になっています。そこでの
c。
安里交差点側から
さだえ食堂(角)、いなみね美粧院、仲本グロリー洋裁店、沖バス本社、太平ホテル(角)。
沖縄バス横の大平ホテルの敷地がどんな形をしていたのかわかりませんが、これまでの図を参考にすると沖縄劇場通りに面していて
c角付近まであったことになります。妙に細長いですが...
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