沖縄主要地主要商工年鑑の52年版から。
左図は第四十図を模したもの、右図は左図での範囲を示したもの。


結論から先にいうと、2が親泊酒造工場、4が識名酒造所、5が第二大城酒造所、6が酒屋新垣、7が仲本酒造工場です。このうち5の第二大城酒造所の場所は正確に特定できていません。
2の親泊酒造工場の頭には下の○に元のマークがついています。

1は「沖縄運輸第一修理工場」、60年代の地図では「沖運修理工場」。
3は「三原セメント瓦工場」で、60年代の地図では「大湾セメントブロック」となっています。51年版では三原セメント瓦工場のそばに「三原区5班 大湾朝○」と付記されていていますので名称変更したんでしょう。
親泊酒造工場は52年版の図からすると三原セメント瓦工場と橋を間にして斜めに対面していますから現在の交番向いのはずです。
識名酒造所は当時の住所から場所がはっきりしていますが、第二大城酒造所は52年の図を見ても正確にはわかりません(51年の図も似たようなもんです)。識名酒造所のある角近くの道がどうなっていたのかはっきりすればもうすこし正確に特定できそうです。