断片的にしか情報のない人ですがとりあえず。
昭和16年の統制令を機に、沖縄酒類販売会社を設立する。社長に私[石川逢篤]、専務に佐久本政良氏、当間重民氏、取締役に宮城亀寿氏、津嘉山至亀氏、中尾平一郎氏、(略)を選出、原料米購入、販売割当を一括して行い、統制経済下の社会的要請にこたえた。
グダグダ(β) 戦前の酒造業界この図は「戦前の昭和初期牧志町民俗地図」を模したものですが宮城酒屋があります。

自分の書いたものでは宮城酒屋としか書いてありませんが、元図では「酒屋 宮城亀寿 フロヤ」と書かれています。
牧志生まれの高良嘉永さんは宮城酒屋を以下のように記憶しています。
男4人兄弟のうち、私1人しか残っていなかったので、皆にかわいがられた。4、5才までは、たまに母につれられてお湯に行くことがあった。女湯は部屋がうす暗く、着物をつけたまま湯ぶねに入っていた。当時の女は肌を見せない風習があったようだ。その後は、お風呂には必ず父に連れていかれた。崇元寺橋際の宮城泡盛醸造所は、酒造りに使って熱くなった冷却水(酒水)を利用して風呂屋を経営していた。
高良嘉永人生記 働きざかり・花ざかり p7(抜粋と編集)今のところはこれくらいです...
【追記】昭和12年の酒造業者名簿に名前がありました。
牧志町2ノ1/宮城亀寿
グダグダ(β) 昭和12年の酒造業PR