昭和14年の新聞記事から。
渕上知事告発さる
貴族院多額納税議員選挙に際し、身は選挙長であり選挙粛正委員長であり乍ら、選挙干渉をしたといふので、那覇検事局へ告発された本県知事渕上房太郎氏の取調如何は、(中略)
本県当選多額議員平尾喜一氏(47)は選挙違反県議で強制収容中のところ罪状明白となり那覇検事局では起訴することになり、長崎控訴員検事長を経て宮城法相へ決裁を仰いでゐたが、昨日起訴の決裁があり、検事局では昨日強制期間満了と共に那覇地方裁判所予審を請求正式に起訴した。同時に平尾派に連座強制収容中の下記互選人20名も昨日正式起訴予審を請求された。
石川逢篤(42)、宮城能宏(45)、渡名喜守重(69)、安元英礪(72)、中西惣吉(61)、知念績正(52)、森永敬造(47)、尾花仲次(61)、新元亀次郎(43)、照屋清雄(42)、青山壮吉(58)、宮城安郎(43)、渡辺新次郎(65)、我喜屋良徳(46)、辰野賢造(37)、上岡作太郎(68)、若林良作(47)、伊良波長齢(43)、識名盛仁(70)、肥後熊太郎(47)
琉球新報 昭和14年9月24日/琉球新報八十年史 p198 (抜粋と編集)自分の興味は事件ではなくて平尾派とされる互選人なんですが「上岡作太郎(68)」とあるのが興味深いです。記事は1939(昭和14)年なので逆算すると1871(明治3、4)年ごろの生まれになります。上岡氏に関しては
上岡作太郎(勉強堂)を参照していただきたいのですが、ここでの上岡氏は初代ということになります。
「辰野賢造(37)」はおそらく大門前で広島屋を経営していた辰野元造(
参考)で、人事録での明治36年生というのとも合います。