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与儀十字路(60年代)

Images of Okinawa after World War IIにある二つの写真。

http://digicoll.manoa.hawaii.edu/okinawa/Pages/viewtext.php?s=browse&tid=230&route=browseby.php&start=16&city=Naha&by=city&s=browse
http://digicoll.manoa.hawaii.edu/okinawa/Pages/viewtext.php?s=browse&tid=231&route=browseby.php&start=16&city=Naha&by=city&s=browse#

撮影地点を推定してみます。
上左の写真が青矢印(北から南)、上右の写真が赤矢印(南から北)、赤ポインタが角にあった南港食堂、青ポインタが琉球銀行。上左の写真にもわずかに銀行の看板らしきものが見える。

上右の写真から看板を切り出してみます。60年代中期の地図では現在与儀公園となっている箇所に店舗がありました。

地図を参考にするとピンク色が敷地だったと思われます。

地図にある店舗名は以下の通り(与儀十字路から寄宮方向)。
新垣医院(独立した部分)、南港食堂(角)、たたみや、大平鉄工所、ひまわりDPE、南部旅行社、よぎ理容館、ユニオン旅行社、沖縄ツーリスト、新里種苗店、沖縄旅行者[ママ]、金城ツーリスト、国際旅行社、かんばん、みその喫茶、第一旅行社、グリーン喫茶、冨士旅行社、写真屋、中村 新垣助産院、大野医院、つるや旅館

当時は現那覇署の位置に日本政府南方連絡事務所(Wikipedia)や出入国管理部がありましたから旅行社や写真店の需要があったのだと思われます。
余談としては図中の茶色の線は道となっていて、店舗がある部分の北は公園予定地となっています。
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Naha, Okinawa bar area

外人さんから写真を拝借。写真はすべてhttp://vw1assoc.tripod.com/PIscenes3.htmlから。

波上宮から辻方面を望む。小高いところは松の下(Teahouse August Moon)、やぎ写真館というのが見える。


夜はネオンの色が毒々しい。ペプシの配達車がアメリカンです。


木造瓦葺きの建物の入口だけコンクリ建築風ですね。

写真は57年から58年にかけてのもののようですが、軍人は赴任期間があるのでだいたい正確なものではないかと思います。

ClickOkinawa.com

ClickOkinawa.comというサイトから写真を拝借。

城岳木工場(参考)、三笠タクシー。

http://mickmc.tripod.com/hyatt103.html

かめや、すみれ美粧院(参考)。

http://mickmc.tripod.com/hyatt118.html

「Black Market Street - Naha」となってますから那覇市街なんでしょうね。

http://mickmc.tripod.com/hyatt134.html

信興商事(旭通り)

那覇まちのたね通信 | 那覇(平和通り)/旭通り
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=2044


丸国マーケット裏付近、旭通り」がわからなかったのですが丸国周辺にありました。

図の右下に「信興商事支店」があり、やや上に「びっくりそば」もありますので写真は神里原大通りから撮られたもののようです。
70年代のゼンリン地図にはこの2つともありません。

平和通りの本店の様子。51年の「沖縄主要地・主要商工年鑑」には新栄通りに「振興商会」という店舗名がありますが関係はわかりません。
平和通り
参考:グダグダ(β) 安村書店

那覇まちのたね通信 | 生活/信興商事本店のようす
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=2645

那覇商業学校の写真

絵葉書をあつめていらっしゃる方のページに沖縄の絵葉書がいくつかありました(無断拝借失礼)。

那覇商業学校
戦前の絵葉書 戦後の絵葉書 楽しめる絵葉書: 戦前絵葉書 沖縄 那覇商業学校 大正
http://ehagakiwotanosimu.blogspot.com/2011/04/blog-post_4913.html


戦前の絵葉書も県立図書館にありますが「貴重資料デジタル書庫」で扱ってくれないかな...
参考:グダグダ(β) 那覇商業学校跡

戦前絵葉書 沖縄 那覇の屠殺場 大正
http://ehagakiwotanosimu.blogspot.com/2011/04/blog-post_2660.html

戦前絵葉書 沖縄 第百四十七銀行沖縄支店 大正
http://ehagakiwotanosimu.blogspot.com/2011/04/blog-post_1454.html

戦前絵葉書 沖縄 那覇大門(うふじょう)前通り
http://ehagakiwotanosimu.blogspot.com/2008/06/blog-post_05.html

Downtown Naha, 1967

Downtown Naha, 1967」と題された写真。

http://www.flickr.com/photos/ruap1967/4802887941

福山商事ビル近辺でむつみ橋から撮影された国際通り(70年代)を取り上げたのですがこちらは60年代です。最初の写真には青いガードレール(?)がありません。
国際通り

最初の写真は上のグーグルマップでの「玉宮モードコーナー」あたりから撮影されています。写真右手の看板で徳田宝石の一つ手前に「玉宮」とあるのがわかるでしょうか。
「目で見る琉球・琉球写真案内 1963年版/沖縄興信所(大宜味朝徳)」の260ページには玉宮商会が紹介されていています。

玉宮商会
営業種目 呉服・洋布地 其の他繊維製品 卸小売
代表者 宮城清次郎
那覇市松山町2の121番地若松通り
目で見る琉球・琉球写真案内 1963年版


若松通りにあることから卸業者であることがわかります。70年代のゼンリン地図では山形屋向かいの店舗は「玉宮モードコーナー」となっていて、ショーウインドーに布地と服等を展示してあった記憶が自分にもあります。
想像でしかないのですがこの玉宮モードコーナーは布地販売のためのショールームのようなものではなかったかと思います。

球陽館

戦後すぐからのホテル業である球陽館です。

昭和23年10月 初代/代表取締役社長・塩浜康盛が、那覇市字松尾9番地に、木造平屋の「ホテル球陽館」を創業。
昭和31年10月 那覇市久茂地2丁目5番地1に移転。地上3階建て鉄筋コンクリートのホテルを建築。
昭和48年3月 地下1階地上11階の新館を建築。
昭和59年7月 ホテルサンパレスに改名。
平成19年10月 創業60周年を迎える。ホテルサンパレス球陽館に改名。

http://www.palace-okinawa.com/sunpalace/concept/



この松尾9番地の球陽館は浮島通りにありました(ホームページには写真もあります)。
久茂地に移った球陽館( http://g.co/maps/9cqb7)からの風景を撮影した写真を公開されている方がいます。

ホテル球陽館から見た那覇市街北西方面
http://www.panoramio.com/photo/31254448


ホテル球陽館から見た那覇市街南東方面
http://www.panoramio.com/photo/31254473


ホテル球陽館
http://www.panoramio.com/photo/31221284


これは建物の外観。

那覇まちのたね通信 | 球陽館/沖縄タイムス社ビルから望む
現在のホテルサンパレス/昭和35年(1960) 3月1日

http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=3407


「目で見る琉球・琉球写真案内 1963年版/沖縄興信所(大宜味朝徳)」という本に球陽館が紹介されていますが、本店が那覇市久茂地1丁目70、支店が那覇市浮島通りとなっています。外観は上の写真と同じ外観でまちのたね通信と同じく外観は白っぽく、黒っぽく塗装された Panoramio での写真とは時期が違うことがわかります。

琉煙・沖煙 2

琉煙・沖煙の続きです。
左が壺川の琉煙、右が古波蔵の沖煙。航空写真は国土交通省の昭和52年度撮影のもので、加工は自分がしています。

整理番号 COK-77-1
地形図番号 NG-52-27-7
撮影コース C59
国土情報ウェブマッピングシステム
http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/index.html

左写真左下のオレンジ線は壺川大通り、右写真の左上を斜めに走るオレンジ線は与儀大通りです。右写真の右手はガスタンク跡の造成が行われていますね。

【追記】wikimediaに琉煙工場内部の写真がありましたので追加しておきます。
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Inside_Ryukyu_Tobacco_Factory.JPG
琉球煙草工場
琉球煙草社工場(RYUKYU TOBACCO CO.FACTORY)
51年1月、那覇市壺川大通りに創設。55年、鉄筋ブロック2階建4000坪の工場を増設、原料から製品に至るまで、全行程の近代設備が完成した。月2000ケースの生産で年間1億5000万円の収入をあげ、島内自給に目覚ましいところをみせている。また原料生産面でも56年度は60町歩の植付に12万斤の収納を予想し、輸入煙草に相当割り込んでいる。
新郷土地図 第一巻/沖縄タイムス社 p53


上の説明は「新郷土地図」で同じ写真についているものです。

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