忍者ブログ

グダグダ(β)

メンテナンス中/内容について一切保障できません
3/24アクセス解析再設置/不快に感じられる方はJavaScriptオフを推奨

MENU  ブログ内検索は左のMENUからできます

ENTRY NAVI

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ちとせはし(千歳橋)

浮島通りとガーブ川との交点のちとせはし(千歳橋)。川が無くなったわけではないので橋も消えたわけではないのですが現在はわからなくなっています。
水上店舗建設は65年なので千歳橋の姿はそのころまであったはず。
参考:グダグダ(β) 千歳橋通り(50年代初期) 3

 
http://www.okinawajapanforum.com/showthread.php?t=7028&page=87&p=444734&viewfull=1#post444734

同じページにあった現久茂地公民館。


那覇まちのたね通信 | 那覇(平和通り)/千歳橋付近/市場本通り千歳橋付近、交差する道は浮島通り/1959年
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1722
PR

永山商店

Remembering Okinawaから桜坂入口付近の永山商店の写真。看板に1区10組と見えますが、この区域はだいたい右図のピンクのあたりです。
永山商店は市場通り(52年) 2を参考にすると桜坂にあがってゆく道との角付近にあったようです。

写真は緑ポインタの位置から市場方向に向けて撮影されたと思います。映画の宣伝幕は桜坂とのT字路。
映画の宣伝幕を反転させてみると「笛吹童子」と「霧」という字が見えます。

写真の掲載されていたページは下のアドレスです。

Photos from a Soldier with Rycom Signal - Okinawa
Photos from a GI with the Rycom Signal Service in 1954-1955.
http://www.rememberingokinawa.com/page/1954-55_rycom_sig_1

空中写真での子供博物館

Remembering Okinawaから。久茂地小・国映館・子供博物館の一帯です。
http://www.rememberingokinawa.com/page/1950-55_early_aerials

この写真は一銀通り完成後で、曲がり角に第一相互銀行があります。

こちらは一銀通りはまだで第一相互銀行の建物もありません。一銀通りは国際通りから入ってすぐ辺りは丘の切り崩しが行われていて、この写真はその工事以前の地形がわかるものとなっています。

撮影位置。


子供博物館を切り出し。こうしてみると丘の上にあったというのがよくわかります。

キラク/仲宗根商店

Remembering Okinawaから拝借。GI PHOTOS 1956だそうです。

写真中の看板を拡大。最初の写真の手前から奥に向って、仲宗根商店、大衆食堂 木多、キラク食料品ストアー、奥に小さくマーケットと読める看板(後述)があります。

前にグダグダ(β) 市場通り(52年) 2で扱った沖縄主要地主要商工年鑑(1952)の図にこれらの店は名前があります。これを参考にすると奥のマーケットと読める看板はキラクマーケットです。
撮影位置の推定。

写真の範囲の店舗はピンクで示した範囲(新栄通りとえびす通りからくる道に挟まれた一帯)のうち壺屋寄りになります。青ポインタくらいの位置から平和通り中心部に向って撮影したんでしょう。

NAHA, OKINAWA - 1954

外人さんから無断拝借。51年だそうです。
NAHA, OKINAWA - 1954
http://www.hartshorn.us/Navy/navy-25d.htm



まちのたね通信に平和館入口(後年国際ショッピングセンター入口)の写真があり、最初の写真で写っているものと同じでしたので写真の範囲は平和通り入口近辺でしょう。



(右)那覇まちのたね通信 | 劇場・映画/国際劇場平和館入口
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=2336

同時期のほぼ同位置。

この記事は検証が紆余曲折したのですが、経緯がわかりにくかったので簡単に書き直しました。
過去の検証は折り畳んであります。

NAHA, OKINAWA - 1966

外人さんから無断拝借(失礼)。

Mineman Around the World-Naha, Okinawa-1966-Don DeCrona-Naha City
http://www.hartshorn.us/Navy/navy-21d.htm


グランドオリオン通り入口。

左は平和通りから三越を望むアングル、右は振り返って平和通りでしょうか。
左写真には螺旋階段が写ってますね。

この写真の場所はわからなかったのですが、コメントで教えていただいた写真をもとに地図などを確認して写真の場所特定ができました。左写真で通りの左側中央にある看板は「高良楽器」で現在のマルタカレコードです。だいたい同じ位置からのストリートビューはこんな感じ(http://g.co/maps/2gs7u)。
検証過程はコメント欄をご覧ください。

右写真で右側にある建物は現在三越の敷地になっているところにあった建物で、向い側はおそらく南陽相互銀行です。なので三越前あたりから山形屋方向への撮影ということになります。
この二つが写っている写真は結構残っていますが最初はわかりませんでした...

那覇まちのたね通信 | 那覇(国際通り)/国際通り 牧志付近
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1983


【追記】下段左写真に写っているクリーム色のものは公衆電話ボックスのようです。コメントで教えていただいたpdfから該当のものを切り出しました。

http://www.ntt-east.co.jp/databook/2006/pdf/2006_S2-01.pdf
電話ボックスの変遷。

http://www.toa-tuushin.co.jp/

本題とは関係ないのですが、コメントで電話ボックスの写った風景写真を教えていただきました。平和通りの高良時計店近くの電話ボックスが写っている68年の歳末の風景です。
電話ボックスが写っている写真はあまりないので貴重ではないかと思います。

http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/GRI/R05/027711.html
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/GRI/R05/027725.html



コメントでの御教示ありがとうございました。

国際通り裏一帯

Images of Okinawa after World War IIHIGH VIEW OF NAHAという写真。

http://digicoll.manoa.hawaii.edu/okinawa/Pages/viewtext.php?s=browse&tid=184&route=browseby.php&city=Naha&by=city&s=browse#
右は自分が推定したもので、写真は山形屋あたりから沖映通りに向けて撮影されたものではないかと思います。


沖映劇場の外観やマークがわかる写真。
那覇まちのたね通信 | 那覇(ガーブ川)/ガーブ川下流より沖映附近(1950年代)
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=2031

国際通りのむつみ橋近辺。
那覇まちのたね通信 | 那覇(国際通り)/国際通り むつみ橋付近/国際通り むつみ橋付近、沖映本館の並里商会、南陽相互銀行/1955年
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1965

琉球漆器合資会社販売部

Images of Okinawa after World War IIMAIN STREET IN NAHAと説明される写真。
サイトでは1956年となっています。

http://digicoll.manoa.hawaii.edu/okinawa/Pages/viewtext.php?s=browse&tid=182&route=browseby.php&city=Naha&by=city&s=browse
右側にある看板を切り出して縦横の比率を変更すると「琉球漆器合資会社販売部」と読めます。


琉球人名商社団体要覧(59年)には漆器・陶器の項目に「琉球漆器合資会社」があります。そのほかには「沖縄漆器株式会社(安里)」「角万漆器(新生デパート向かい)」「紅房(若狭)」が漆器関連のようです。

琉球漆器合資会社
代表者 照屋林吉
販売部 那覇市政府前十字路
工場 那覇市楚辺2区5班


「沖縄主要地・主要商工年鑑」の51年版と52年版を参照すると国際通りの端、元リウボウの隣りあたりには紅房があったようです(51年度版が第九図表、52年度版が第一図)。

※ここで気がついたんですが現県庁の位置に民政府が移ってきた時期をすっかり忘れていました。51年度版では西側に向いた矢印で軍民政府と書かれています。
ですのでここを調べないとはっきりしたものにはならないようです(すみません)。

まとめると59年の「琉球人名商社団体要覧」では政府前十字路(おそらく久茂地交差点)に琉球漆器合資会社の販売部があり若狭には紅房、51・52年の「沖縄主要地・主要商工年鑑」には国際通り端あたりに紅房。
この食い違いは漆器関連の年表を調べればわかるのかもしれません。
※沖縄主要地・主要商工年鑑(59年)の紅房は後日確認します。

× CLOSE

ブログ内検索

アクセス解析

カレンダー

05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

最新コメント

[08/08 なちょうらーざ]
[07/19 shimoji]
[07/19 shimoji]
[03/21 2階の店舗の娘]
[03/05 福島敏彦]

× CLOSE

Copyright © グダグダ(β) : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]