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天ぷら坂から

rememberingokinawaにある壺屋の天ぷら坂からの写真。撮影位置はだいたいこのへん(http://g.co/maps/ewbmr


写真中には「漢那商店」「みりおん」「きさう(うさぎ?)」「冨士商業株式会社」の看板が確認でき、後方には民衆百貨店の建物があります(旗のある建物)。

http://www.rememberingokinawa.com/page/american_photo_postcards_1
(http://www.rememberingokinawa.com/photo/american_photo_postcards_1/11)


沖縄主要地主要商工年鑑(1952)でのこの一帯。
グダグダ(β) 市場通り(52年) 2
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国映館・松坂屋間

まちのたね通信の写真に57年の国際通りでの商工祭パレードを撮影したものがあります。

那覇まちのたね通信 | 那覇 商工祭 サンスター自転車特約代理店ののぼり/1957年 5月20日
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=884

ゼンリン地図69年版では国映館(a)、国場組商事部(b)、ビクターレコード店(c)、松坂屋(d)となっています。

bc間には国場組商事部そばに小さな店舗があるだけで残りは空白となっています。上図で緑色の線と黒い区画がありますが、これは緑線が地形(元図ではただの線)、黒い区画は「アキチ」となっています。
この「アキチ」のある丘は最初の写真でのBC間、緑で描いた箇所になるかと思います。
この写真は57年撮影ですが、56年撮影の写真(下右)ではAサインが掲げられていて階段が見えます。この丘の区間は後年まであまり変わらず、映画の看板が設置されていて、その前には露天商がいました(下左写真/70年頃)。

参考:グダグダ(β) 山形屋向かい (映画の看板と露天商/左写真)

最初の写真中の松坂屋。百貨店だったようです。

寿屋食堂・ハリウッド

世界館通り(52年)の補記です。
まちのたね通信に56年の世界館の写真があります。

那覇まちのたね通信 | 国際通り2/昭和31年(1956) 1月1日/山形屋屋上から国映館方向(元世界館)
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=3424

印を付けた箇所をクローズアップ。下左の世界館横は「寿屋」と読めないこともないかと。下右のピンク色の箇所はAサインがあります。

業種によって「A」の文字色が違っていた。
* 赤表示:レストラン
* 青表示:キャバレーやバー
* 黒表示:加工食品
Aサイン - Wikipedia


世界館通り(52年)で沖縄主要地主要商工年鑑(1952)を取り上げたのですが、世界館周辺を詳しく見てみます。

寿屋・ゴールデンゲイト間の空白は丘になっていたからということのようです。道奥の「ハリウッド」がどうなっていたのかということですが、丘の上に米軍相手の飲食店があったのではないかと想像します。写真で写っている階段は裏口?なのかもしれません。

知事公舎周辺(50年代)

まちのたね通信から50年代の知事公舎周辺の空撮写真。

那覇まちのたね通信 | 那覇(航空写真)/安里、栄町上空から壺屋、寄宮、与儀方面を望む/戦後/1950年代
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1861


クローズアップ。
左写真は安里から古波蔵方向への撮影なので右写真とは上下が逆になっています。

50年代ですでに区画も道も現在と殆ど変わりませんが、戦前のこの一帯(宮城原)は農業試験場用地なのでほとんど無人でした。イユサギ毛には小さな集落があります。
1の区画の大通り沿いには与儀十字路(60年代)であつかった店舗群がすでにあるようにも見えます。

農業試験場(農事試験場)はもともと与儀部落の耕作地だったようです。
参考:グダグダ(β) 与儀の暮らし

沖縄劇場通りの写真(50年代)

沖縄劇場通り(50年代初期)の続きのようなものです。下画像はまちのたね通信にある50年代のひめゆり通り空撮写真に加筆したもので、栄町(手前)から古波蔵方向(奥)へ向けて、北東から南西方向への撮影。

那覇まちのたね通信 | 那覇(航空写真)/安里、栄町上空から壺屋、寄宮、与儀方面を望む/戦後/1950年代
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1861


手前の栄町部分を拡大。

一番右の通りが330号線、その隣にある道が沖縄劇場通りです。この写真では現在は駅がある箇所に店舗が建ち並んでいた様子が写っています。
店舗名等は沖縄劇場通り(50年代初期)を参照して下さい。

Naminoue 1968

Naminoue 1968と題された写真。

http://www.okinawajapanforum.com/showthread.php?t=7028&page=43&s=c0e445965b719b27288db554cef96790

ゼンリン地図69年版に「クラブ GOLDEN BIRD」としてありました。青ポインタから大通り向けに向って撮影されたと思われます。

1950年の角萬漆器?

前に角萬漆器(嘉手納漆器店)を取り上げたことがあったんですがそれらしき店舗が写っている写真がありました。

那覇まちのたね通信 | 那覇(平和通り)/平和通り壺屋側入口附近、手前は壺屋通り、右手は平和通りへ、左手は新栄通りへ至る/1950年
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1709


囲った部分のクローズアップ(左)と推定した撮影箇所(右)。青ポインタは角萬漆器で赤ポインタが撮影位置(大まかに)。


角萬漆器のサイトにあった写真(52年)を加工したものを再掲。
建物も看板も違うように見えますが雰囲気は似てるんじゃないでしょうか。


参考:グダグダ(β) 市場通り(52年) 2 (元写真にある仲宗根商店、名城商店がある)
参考:グダグダ(β) 角萬漆器(嘉手納漆器店)

安里交差点(戦前)

米軍撮影の写真から切り出しました。
右は切り出したそのままのもので、左は画像処理をしたものです。右は画面にムラがあるというか濃淡が違う箇所が同居しています。

左は右の濃淡がある部分を分割して明るさを調整し合成、全体にぼかしをかけて画面をソフトにしてあります。ですが、右写真での濃淡の境界線のノイズはそのまま残っていますので注意。
だいたい同範囲のグーグルマップ。

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