まちのたね通信にある国場川埋立地(埋立前)の写真。写真中のポインタについては後述。
那覇まちのたね通信 | 都市計画/埋立前の漫湖(壺川より小禄を望む)
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=2086米軍撮影写真と77年の空撮。

http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=COK-77-1&PCN=C59&IDX=7&PNO=1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18図中のAがアカバタキー(赤畑)、Bがガーナ森、Cは奥武山です。真和志民俗地図では古波蔵交差点からAを経て橋に至る道は戦後の道路となっています。
アカバタキーが国場川に突き出した半島のような形状で、戦後の道路の内側はすべて埋立ということになりますが77年の写真では戦前の地形のおもかげが少しあります。1945年の写真でもすでに埋立が始まっていたようにも見えるんですよね...
最初の写真のクローズアップ。


看板は農連前我那覇鉄工所と読め、戦後の農連は古波蔵交差点にあります。神里原近くの農連市場はここの市場です(略して農連と言うことも多いのですが)。
鉄工所の仕事として農具の修理改造もありますからここに工場を置く理由もあります。
【追記】埋立後の写真があったので追加しておきます。
那覇まちのたね通信 | 都市計画/完成した第一次国場川の埋立地
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=2087PR