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インジャ/福地曠昭

「インジャ/福地 曠昭」という本をご紹介。
福地曠昭さんの本は以前「沖縄の鍛冶屋」を鍛冶屋関係記事で参考にしました。

この本は農村の身売りのことを扱っています。売られた側と雇っていた側の証言が豊富にあり極めて興味深いものです。ただし沖縄本島北部が中心なためこのブログでは取り上げませんが沖縄のことについて興味のある方は必読ではないかと思われます。

このブログではイリチリーについて書いたことがあります。
グダグダ イリチリー
しかし農村に関する限りこの程度の触れ方では浅すぎることを痛感しています。農村と身売りに関して興味のある方はぜひ「インジャ/福地 曠昭」や様々な文献を広範囲にあたって頂きたい。
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那覇新都心物語

「『那覇新都心物語』那覇新都心地主協議会/2007年」という新都心の区画整理などをまとめた本があるのですがこの本に銘苅の集落図などが載っていたので資料としてあげておきます。

開発途中で出て来た古墓の報告書を教育委員会が「銘苅古墓群(南地区) : 掘り出された死者の谷」というタイトルをつけてしまった結果のゴタゴタにも少し触れられています。死者の谷はエジプトのアレを想定していて悪意はなかったんでしょうがまぁ年寄りには通じませんでしょうね(笑)。
自分の関心領域から読むとこは少ないですが読みやすくてよくまとめてあると思います。
近年発行された字史などは読みやすいものが多く、記録や記憶を継承するというということに重点が置かれているのが好感を持てます。

歴史民俗地図

さんざん参考にしまくっている那覇と真和志の歴史民俗地図(ブログ内では民俗地図と表記)ですが成り立ちについて説明されているのに気がつきました。
この図は「那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗」についているものなのですが、封筒に入っており、以下の文はその封筒に印刷されています。
その文から抜粋して引用します。

3.本地図の想定時期は、原則として15年戦争が始まるまえの昭和初期としたが、旧那覇・旧首里とちがい、旧小禄・旧真和志の農村地区では変遷が乏しいので、特に時期を限定せず、戦前を基準とした。

5.本地図は昭和51年末から昭和53年夏まで約2年近くにわたり、市内各自治会を始め、200余名の古老の協力と助言を得て、まず旧那覇(24町)、旧首里(19町)、旧小禄(12字)、旧真和志(23字)の町字ごとの民俗地図素案をつくり、これをもとにして、四地域の歴史民俗地図を作成、さらに地域に詳しい古老学識経験者による数回の監修を経て完成したものである。


町・字ごとの小さな地図が作成されてから作られたという流れですね。たまにみかける狭い範囲の民俗地図が那覇市史付属の地図になる前の段階のものだということがこれでわかりました。
この狭い範囲での地図はいくつかコピーして持っているのですが出所はみんなバラバラです(新聞とか本)。狭い範囲の図のいいとこは当たり前ではあるのですがより細かいということです。

古賀商店

尖閣諸島と古賀商店関係でよい資料がありました。

尖閣諸島開拓時代の人々 (1)
尖閣諸島開拓時代の人々 (2)
尖閣諸島開拓時代の人々 (3)

1が古賀商店のこと、2が奥様へのインタビュー、3が古賀善次氏へのインタビューで、内容は尖閣諸島を巡る話が中心ですが1の古賀商店の考察などは内地との関係など興味深いものです。

平尾や古賀などの商人はでかすぎて手に負えないなと思っていたのでこういう考察は凄く参考になります。

国映館

国映館の歴史を豊富な写真でまとめているpdfを紹介します。
Remembering Okinawaから、Documents/Research Documents 1を選んだ中にあります。
pdfは下の画像と同じものをクリックすることでダウンロードできます。
Documents 1へのアドレスは下記。
http://www.rememberingokinawa.com/page/docs/RESEARCH_DOCUMENTS_1

Traced the uniquely designed Kokuei-Kan theater from it construction in 1951 to the 1960's. Filesize[7.1MB]


よくまとまっています。

近世沖縄の流通構造

面白い資料をご紹介。

CiNii 論文 - 近世沖縄における流通構造の特質 金城 宏
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000979085


第一章が近世沖縄の社会的経済基盤、第二章が琉球王府の専売制度を基軸に展開された領主的商品流通の特質、となっていて、最後に「局地的市場圏の枠内に封じ込められた私的交易の特質を都市地域と都市と農村間を結ぶ商品流通について考察する」となっています。

小難しいような感じですが読みやすくわかりやすいのでお勧めします。

REMEMBERING OKINAWA

凄いサイトがありました。

Remembering Okinawa - 1945 to 1972 United States Administration Period History
http://www.rememberingokinawa.com/page/remembering_okinawa_home


貴重な写真がたくさんあります。
ちょっと凄すぎて何も言えませんね、これは...

居住人と村

pdfでわかりやすくて面白いのがあったのでご紹介。

沖縄文化協会 2010 年度公開研究発表会
www17.ocn.ne.jp/~amayo/okbun10.pdf


そのうちの一つ、「居住人と村:沖縄における屋取形成の歴史・社会的背景/玉城毅」から抜粋。居住人は屋取住人、地人は村人です。
参考:イリチリー

(1)近世中期(18世紀)頃より、村内部の階層化がみられ、村には富裕層と貧困層が存在するようになった。そのような状況の中で居住人は農村部に定着していった。
(2)土地整理までの近世的社会制度の下で、多くの居住人は、浮掛地を小作して生計を立てていた。地人からみれば、居住人は社会的な権利と義務を十分に持っておらず、村において弱い立場に立たされていた。
(3)しかし、19世紀初めには富裕な居住人が存在していた例があり、居住人が、仕明地や百姓地の売買や質取引に関与した形跡もある。
(4)土地整理(とりわけ浮掛地処分)によって地人と居住人の対立が顕在化した。
(5)その混乱の時期を経て、居住人は、浮掛地を私有するようになり、自らの社会を形成する基盤を築いた。
近代におけるK屋取の社会的・経済的展開の歴史的背景には、村内部での階層分化と階層間移動という近世農村の流動的な状況があった。このような状況の、いわば隙間に入り込むように居住人たちは定着していったと思われる。K屋取を含むAムラの面積が広いことから、地割に組み入れらなかった仕明地や浮掛地などの土地が多く、居住人が集まりやすい環境があったと推測できる。換言すれば、K屋取は、王府の農村政策としての近世的社会制度にとって周縁的場所だったといえる。


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