pdfでわかりやすくて面白いのがあったのでご紹介。
沖縄文化協会 2010 年度公開研究発表会
www17.ocn.ne.jp/~amayo/okbun10.pdfそのうちの一つ、「居住人と村:沖縄における屋取形成の歴史・社会的背景/玉城毅」から抜粋。居住人は屋取住人、地人は村人です。
参考:
イリチリー(1)近世中期(18世紀)頃より、村内部の階層化がみられ、村には富裕層と貧困層が存在するようになった。そのような状況の中で居住人は農村部に定着していった。
(2)土地整理までの近世的社会制度の下で、多くの居住人は、浮掛地を小作して生計を立てていた。地人からみれば、居住人は社会的な権利と義務を十分に持っておらず、村において弱い立場に立たされていた。
(3)しかし、19世紀初めには富裕な居住人が存在していた例があり、居住人が、仕明地や百姓地の売買や質取引に関与した形跡もある。
(4)土地整理(とりわけ浮掛地処分)によって地人と居住人の対立が顕在化した。
(5)その混乱の時期を経て、居住人は、浮掛地を私有するようになり、自らの社会を形成する基盤を築いた。
近代におけるK屋取の社会的・経済的展開の歴史的背景には、村内部での階層分化と階層間移動という近世農村の流動的な状況があった。このような状況の、いわば隙間に入り込むように居住人たちは定着していったと思われる。K屋取を含むAムラの面積が広いことから、地割に組み入れらなかった仕明地や浮掛地などの土地が多く、居住人が集まりやすい環境があったと推測できる。換言すれば、K屋取は、王府の農村政策としての近世的社会制度にとって周縁的場所だったといえる。PR