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那覇市歴史地図

資料のご紹介。
この「那覇市歴史地図」と「那覇市旧跡・歴史的地名地図」が現在の地図上で文化財の位置を確認できる資料です。

那覇市歴史地図 -文化遺産悉皆調査報告書-
那覇市教育委員会
1986(昭和61)年3月発行


「那覇市歴史地図」は本の形で、分割された地図の上に番号があり巻末の索引でその番号の史跡を確認するという形です。
「那覇市旧跡・歴史的地名地図」は大きめの地図(1/6000)で那覇四地区に分割されており、その地図の上に史跡名が直接書かれています。ただこちらは前者ほど細かく書かれてはいません。
正直この二つでほとんどの史跡は確認できるんじゃないでしょうか。

オンラインでは那覇市の「都市計画情報提供システム」にも文化財という項目があります。
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那覇市旧跡・歴史的地名地図

那覇市が1996年に発行した「那覇市旧跡・歴史的地名地図」という地図があります。内容はこう説明されています。

琉球王国時代から沖縄戦直後に至る当時の建造物・拝所・井戸・地名など1,000件余を、1996年現在の那覇市現況地図に標記(4葉入)
http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/kankoubutu.html


この地図は1/6000でかなり大きく、「那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗」に付属する歴史民俗地図と比較すると多数省略されたものです。
ですが現在の地図上に書かれたものは貴重で、「歴史民俗地図」や那覇市教育委員会発行の本と組み合わせて読むことで詳しく調べることが可能になるでしょう。

最近こういう資料を目にして、こういうのを参考にして最初からやった方がいいんではないかと考えるようになりました...

沖縄主要地・主要商工年鑑

資料のご紹介。
「沖縄主要地・主要商工年鑑/上原 軟剛」(1951)はガリ版刷りで通りの図と店舗名が書かれた本です。

この本は「沖縄・国際通り物語/大濱聡」という本の資料としてあげられていたものなんですが1951(昭和26)年の那覇市の中心繁華街がほとんど網羅されています。ガリ版刷りで読みにくいところもあるのですがよくぞ残っていてくれたと思います(マイクロフィルム複製本)。

こういう良い資料を手にすることが出来ていればしなくていい苦労もあったんではないかと思いますがしょうがないですわな。しかし巻末に資料名があると大分助かります。

那覇・新天地市場の女たち

面白かったのでご紹介。
新天地市場で商売をしていた本部出身者達の歴史とインタビューです。

CiNii 論文 - 戦場(いくさば)の跡を縫い合わす : 那覇・新天地市場の女たち/石井 宏典
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004616971


インタビューでの本部口調が浮かぶようです(笑)。

ハンセン病罹患者の居場所

愛楽園以前のらい病(ハンセン病)患者のようすがうかがえるpdfがあります。

CiNii 論文 - ハンセン病罹患者の<居場所>-沖縄社会と<隔離所>-/中村 文哉
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006648510


青木恵哉(Wikipedia)という伝道師により愛楽園は作られるのですが、そこにおちつくまではとても苦労がありました。焼き討ちや嵐山事件といった事件が代表的です。
嵐山事件などは社会運動家による反対運動で正直どう考えていいのかわからなくなりますが、それだけ沖縄でのらい病患者は蔑視されていたんだろうと思うしかありません。

論文は県内全域のことを扱っていますがバクチャヤーについても何ヶ所か触れられています。

南城市の原名

検索していたら南城市の原名(はるなー)図がありました。
このブログには関係ないんですが。

2006年1月1日、島尻郡の佐敷町、知念村、玉城村、大里村が合併して誕生した。
南城市 - Wikipedia


直URLはこれ↓。6.6MB ありますが興味のある方はどうぞ。

www.city.nanjo.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/keikakuzu3.pdf

いつかは那覇の原名図もちゃんとつくりたいんですが...

沖縄・国際通り物語

「沖縄・国際通り物語」という本をご紹介。
作者は大濱聡さんというテレビ畑の方のようで、キーパーソンへのインタビューや資料を駆使して書かれた傑作です。
国際通りだけではなくその周辺の商業地まで含めて書かれています。

1998年発行ですが、本のあちこちに鬼籍に入られたという記述があり、10年以上前の発行時でそうなら今現在当事者に聞くということは不可能なんだなとあらためて実感。しかしよく記録として残してくれたと思います。
このブログで登場する人達もあちらこちらで登場。

発行は地元出版社のゆい出版というところのようです。

【追記】球陽堂についてこの本を参考にしてまとめました。

沖縄電気鉄道

若狭公民館が沖縄電気鉄道についての高齢者学習をやっていたようです。その資料が面白かったのでご紹介。
下の図は案内のpdfから切り出したものです。

http://naha-kouminkan.city.naha.okinawa.jp/wak-kou/pdf/densya.pdf
沖縄電気鉄道

ブログもありました。

公民館つれづれ日記: 高齢者学級「若狭を走っていた電車から歴史をたどる」第2回
http://wakasakouminkan.blogspot.com/2010/07/blog-post_28.html
公民館つれづれ日記: 高齢者学級「若狭を走っていた電車から歴史をたどる」第3回
http://wakasakouminkan.blogspot.com/2010/07/blog-post_2151.html


立ち入れないのでよくわからなかった都ホテルあたりのS字ターンも第2回で紹介されています。都ホテルの敷地には遺構が残っているのですがそれについてのエピソードがありました。
ここで、都ホテルの方よりお話がありました。
都ホテルの親会社は、大阪を走る鉄道会社(近鉄=近畿日本鉄道)なのだそうです。
ある時、親会社から出向で赴任した社長がこの橋脚の土台を見て「何があっても絶対に壊すな」と指示をされ、その指示が現在まで引き継がれて、残されているそうです。


ええ話や...

このブログでも若狭公民館の高齢者学校で作られた若狭町 古地図をいろいろと参考にしています。
感謝申し上げます。m(_ _)m

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